静岡県内で徳川家康ゆかりの城といえば「出世城」と称される若き日の家康の居城・浜松城、そしいて隠居後に、大御所時代の政治中枢となった駿府城(静岡市)が有名です。意外と知られていないのが、家康が生涯で最初に築いた城、横須賀城(掛川市)。見事な玉石垣が現存しています。
家康が選んだ横須賀城の立地にも注目を


天正3年5月21日(1575年7月9日)、現在の愛知県新城市で繰り広げられた長篠の戦い(ながしののたたかい)。
織田・徳川連合軍は鉄砲隊と馬防柵で武田勝頼軍を打ち破ります。
当時の遠州(静岡県西部)は武田と徳川がせめぎあい、「高天神城(たかてんじんじょう/掛川市)を制するものは遠江(とおとうみ)を制する」といわれた高天神城は武田氏が領有していました(今川氏→徳川氏→武田氏と推移)。
長篠の戦いの勝利を受けて、徳川家康は、高天神城の奪回を目指します。
そのとき、家康がとったのが高天神城を囲む包囲網で、砦を築き、攻略の拠点として大須賀康高(おおすがやすたか=三河時代からの家臣)に命じて横須賀城を築いています。
深謀遠慮(しんぼうえんりょ)の家康らしいのは、その立地。
横須賀湊を眼下にし、舟運による交易、さらには浜松と相良を結ぶ街道を抑えて物資の搬入が可能な高台に築いているのです。
城の下には「隠し堀」といわれる舟入状の堀を掘って、岡崎城と同様に舟が付けられる城という構造に。
横須賀城を「平城」とする人もいますが、厳密にいえば、山城から平城に移る過渡期の「平山城」。
中世城郭と近世城郭のふたつを併せ持ち、松尾山北東の大空濠などは中世的、見事な玉石積みの石垣は近世的ということに。
玉石垣は砂岩の河原石を積み上げて構築していますが、こちらは豊臣秀吉の小田原攻めのあった天正18年(1590年)以降の整備で、築城当初から15年以上経ての修築(近世城郭への直し)です。
築城当時の家康は浜松城が居城で、遠州には当然精通していたでしょうから、ここぞという地に城を築いたことは間違いありません。
それが証拠に高天神城を武田氏から奪い取ると、高天神城を廃城にして、横須賀城を拠点の城にしています(江戸時代には横須賀藩を立藩)。

| 徳川家康が生涯最初に築いた城、横須賀城 | |
| 名称 | 横須賀城/よこすかじょう |
| 所在地 | 静岡県掛川市山崎 |
| 関連HP | 掛川市公式ホームページ |
| 電車・バスで | JR袋井駅から静鉄ジャストライン(大東支所・横須賀車庫前行き)で20分、七軒町下車、徒歩10分 |
| ドライブで | 東名高速道路袋井ICから約12km、掛川ICから約13km、菊川ICから約16km |
| 駐車場 | 横須賀城公園駐車場(15台/無料) |
| 問い合わせ | 掛川市商工観光課 TEL:0537-21-1149 |
| 掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 | |







