旭姫の墓

旭姫の墓

静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。境内にある墓地の最奥、高台にあるのが、旭姫の墓。旭姫は豊臣秀吉の妹で、家康と秀吉の雌雄を決する小牧・長久手の戦いの後、それまでの夫と離別して家康と政略結婚して、駿府に暮らした家康の正室(継室)です。

豊臣秀吉の妹で、政略結婚で家康に嫁いだ旭姫が眠る

瑞龍寺
徳川家康の正室(継室)、旭姫の墓

徳川家康は、駿府での人質時代の天文24年(1555年)、14歳の時、静岡浅間神社で元服して、今川義元の姪で関口親永の娘・瀬名(築山殿)を正室にしています。

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで、今川義元が織田信長に討たれると、人質生活を終えて、岡崎城へと帰城し、永禄4年(1561年)には今川氏と断交、信長と和睦して清州同盟を結んでいます(同盟の証として嫡男・信康が信長の娘・五徳と婚約)。

天正7年(1579年)、織田信長から正室・築山殿と嫡男・松平信康に対して武田氏への内通疑惑があると通告されたことで、築山殿の殺害、信康の切腹を余儀なくされ、正室と嫡男を死に追いやっています。
その後、側室は多く抱えていますが、正室となったのは旭姫のみ。
家康は生涯で最初の妻が今川家と、二度目が織田家との政略結婚ということに。

それでも側室を20名ほど抱え、切腹させられた長男・松平信康は、正室の子でしたが、継室の旭姫との間には子がいなかったので、次男・結城秀康、三男・徳川秀忠(2代将軍)から九男・徳川義直(尾張徳川家の祖)、十男・徳川頼宣 ( 紀伊徳川家の祖)、十一男・徳川頼房(水戸徳川家の祖)に至るまで、すべて側室の子供。

天正14年(1586年)に結納を取り交わした旭姫とは完全な政略結婚で、浜松城に旭姫が来た時、家康45歳、旭姫44歳という年齢です。
結婚後、居城が駿府に移ったことで、駿河御前と呼ばれた旭姫ですが、天正18年1月14日(1590年2月18日)に療養先の有馬温泉で没しています。
駿府城は、天正13年(1585年)に着工、天正17年(1589年)完成なので、駿府城の建設と旭姫との婚姻時期がちょうど重なることに。

旭姫の晩年は病気がち、臨済宗に帰依していたため、家康は旭姫を京の東福寺(臨済宗)に葬り、塔頭・南明院(なんめいいん)を建立、分骨を駿府の瑞龍寺(曹洞宗)に置いて墓を築いたのです。
ちょうど秀吉の小田原征伐の際だったため、豊臣秀吉も小田原への移動途中、瑞龍寺の墓に参拝に訪れています。
曹洞宗での法名は、瑞龍寺殿光室総旭大禅定尼。
臨済宗では南明院殿光室宗王大禅尼(南明院殿光室総旭大姉)。

NHKの大河ドラマ『徳川家康』(昭和58年放送/徳川家康:滝田栄)では、旭姫役は岩本多代(いわもとますよ)が演じています。

旭姫の墓
名称 旭姫の墓/あさひひめのはか
所在地 静岡県静岡市葵区井宮48
関連HP 瑞龍寺公式ホームページ
電車・バスで JR静岡駅からしずてつジャストラインで10分、材木町下車、徒歩2分
ドライブで 東名高速道路静岡IC、新東名高速道路新静岡ICから約6km
駐車場 35台/無料
問い合わせ 瑞龍寺 TEL:054-271-2634/FAX:054-273-8031
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
瑞龍寺

瑞龍寺

静岡県静岡市葵区井宮町、賤機山(しずはたやま)の西麓に建つ曹洞宗の寺が、瑞龍寺。徳川家康ゆかりの禅寺で、境内の墓地の奥には徳川家康の正室(継室)・旭姫(豊臣秀吉の妹で、政略結婚で家康に嫁ぐ)の墓があり、旭姫の菩提寺にもなっています。本堂前に

旭姫の墓

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