諏訪原城

諏訪原城

静岡県島田市金谷、牧之原台地の北端部、標高212m〜220mの台地に築かれた戦国時代の山城が、諏訪原城(すわはらじょう)。高天神城(現・掛川市)攻略を目指す武田勝頼が、天正元年(1573年)、家臣・馬場信春(ばばのぶはる)に命じて築城した城で、続日本100名城に選定、国の史跡になっています。

駿遠国境、牧之原台地の北端に武田勝頼が築いた城

諏訪原城の大手口には街道時代の東海道が通り(東側には金谷坂の石畳、西側には菊川坂の石畳も)、東の眼下には大井川が流れます。

永禄11年(1568年)、織田信長の仲裁もあって、武田信玄と徳川家康との間で、大井川を駿河と遠州の国境とする密約が成立しているので(今川氏真領国の分割領有の約束)、信玄の嫡男・武田勝頼が築いた諏訪原城は、まさに遠州側の国境ギリギリの地に建つことになります。
密約によれば本来の遠州は徳川領ですが、遠州、三河(愛知県東部)を制圧し、尾張(愛知県西部)から京へと進みたい武田勝頼にとって、高天神城の奪取は、父・信玄から受け継いだ至上の命題だったのです。

武田軍の侵攻ルートは、すでに手に入れていた駿府館(現・静岡市)を起点に、田中城(現・藤枝市)、諏訪原城へと西進し、高天神城を奪取、信濃(現・長野県)側からは高根城(現・浜松市天竜区水窪町)、二俣城(現・浜松市天竜区二俣町)と南進し、家康の居城・浜松城に迫るという作戦でした。

城内に武田領内あった諏訪神社の祭神を勧請し、諏訪大明神を祀ったことが諏訪原城の名の由来です。
高天神城攻略の拠点としての機能が活かされ、天正2年(1574年)、高天神城を手中に収めますが、
天正3年(1575年)5月、長篠の戦いで武田軍が織田徳川連合軍に大敗。
同年7月頃には、諏訪原城も徳川軍に包囲され、1ヶ月余りの攻防戦が繰り広げられた末、天正3年8月頃、武田方の将兵は小山城へと逃れています。

その後、徳川家康は牧野城(まきのじょう)として整備し、現在残される遺構は徳川家康が改修した時代のもの。
廃城時期は定かでありませんが、天正10年(1582年)、武田勝頼が天目山で自刃し、武田氏が滅亡した後の天正18年(1590年)頃だと推測されています。

城郭は、明治維新後に、徳川慶喜を慕って駿府に随従した旧幕臣たちが開墾し、茶畑になっていますが、南北580m、東西1450mが国の史跡に指定され、史跡公園として整備が進んでいます。

発掘調査で、徳川時代の牧野城の遺構が大半と判明

諏訪原城
諏訪原城縄張り図

発掘調査以前には、「武田系」城郭の典型とされていましたが、平成21年度〜平成27年度に行なわれた発掘調査の結果、武田氏時代に構築されたのは本丸と二の曲輪中馬出(にのくるわなかうまだし=武田流築城術の丸馬出)のみと判明し、二の曲輪から西側のほとんど(二の曲輪・二の曲輪中馬出・同北馬出)が、徳川氏が攻略した後の改修は徳川時代の新造ということが明らかになっています。
さらに、本曲輪外堀の掘削、形状を同一にする二の曲輪外堀も徳川時代実施されたことも確実な状況に。

徳川時代の城主は、当初は旧駿河守護・今川氏真でしたが、1年ほどで浜松城に召還されているので、後継は今川氏真城主時代の補佐役だった松平家忠が就任。
徳川時代の大改修によって、諏訪原城は強固な防備を持つ、駿河侵攻の拠点としての役割を担う牧野城へと変身したのです。

平成28年度には発掘調査に基づき、二の丸北馬出の薬医門が復元されています。
第1駐車場に隣接して「諏訪原城ビジターセンター」が建ち、諏訪原城の歴史や構造、諏訪原城の年表、諏訪原城推定復元図、発掘調査により出土した陶器や鉄砲玉などを展示しています(続日本100名城スタンプ置き場にもなっています)。

諏訪原城
名称 諏訪原城/すわはらじょう
所在地 静岡県島田市菊川1174
関連HP 島田市公式ホームページ
電車・バスで JR金谷駅から徒歩25分
ドライブで 新東名高速道路島田金谷ICから約6.5km
駐車場 諏訪原城ビジターセンター駐車場、諏訪原城第2駐車場を利用
問い合わせ 島田市観光文化部博物館課 TEL:0547-36-7967/FAX:0547-37-8900
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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