静岡県七大名城とは!?

静岡県七大名城

旧国では県の西部が遠州、東部が駿河と伊豆に分かれる静岡県。戦国時代には今川氏の領有ですが、今川家滅亡後に徳川・武田の激戦地に。日本100名城の駿府城、掛川城、山中城、そして続日本100名城選定の興国寺城、諏訪原城、高天神城、浜松城の合計7城が静岡県七大名城といえる城です。

駿府城|日本100名城

所在地:静岡市葵区駿府城公園1-1
築城年:近世城郭=天正13年(1585年)
築城者:徳川家康
主な城主:徳川家康、中村一氏、徳川頼宣(徳川家康の十男)
史跡:指定なし
文化財・遺構:石垣、堀のみ現存
備考:本丸、二の丸跡が駿府城公園として整備
巽櫓、東御門、坤櫓
今川義元時代の今川氏館は徳川時代の三の丸あたりと推測されています(また遺構は発見されていません)

徳川家康公之像(駿府城本丸跡)

徳川家康公之像(駿府城本丸跡)

静岡県静岡市葵区、駿府城公園の駿府城本丸跡(沈床園)に立つのが、徳川家康公之像。徳川家康が余生を送る地と定め、将軍を息子の秀忠に譲った後も大御所として権力を維持した隠居の城に立つ像で、まさに駿府城公園(駿府城本丸、二ノ丸跡)のシンボル的な存

掛川城|日本100名城

所在地:静岡県掛川市掛川1138-24
築城年:文明年間(1469年〜1487年)、近世城郭=天正18年(1590年)頃
築城者:朝比奈泰煕(あさひなやすひろ=今川家家臣)、近世城郭=山内一豊
主な城主:山内一豊
史跡:静岡県の史跡
文化財・遺構:二の丸御殿は国の重要文化財、太鼓櫓(移築)、大手門番所(移築)、石垣、土塁、堀
備考:現在の天守は、平成6年、日本で初めて木造で復元された復元天守

掛川城

東海道の要衝を守る名城、掛川城。現在の天守は、平成6年、日本で初めて木造で復元された復元天守ですが、往時の様子を忠実に再現しています。近世城郭を築いたのは、平成18年のNHK大河ドラマ『功名が辻』の主人公・山内一豊。天下分け目の関ヶ原合戦前

山中城|日本100名城

所在地:静岡県三島市山中新田
築城年:永禄年間(1558年〜1570年)
築城者:北条氏康(ほうじょううじやす)
主な城主:北条氏政
史跡:国の史跡
文化財・遺構:曲輪、堀、土塁などが現存
備考:箱根山外輪山から西に伸びる尾根を利用して築城した中世の山城で、箱根十城のひとつ
北条氏政の対豊臣の前線基地でしたが、豊臣秀吉の小田原攻めで落城

山中城

永禄年間(1558年〜1570年)に相模国の戦国大名・北条氏康(ほうじょううじやす)が築城した小田原城の支城(国境警備の城)で、箱根十城のひとつ。東海道の三島神社から箱根へと上る途中に位置する中世の山城跡で、箱根山外輪山から西に伸びる尾根を

興国寺城|続日本100名城

所在地:静岡県沼津市根古屋
築城年:長享元年(1487年)
築城者:伝承=伊勢新九郎盛時(北条早雲)
主な城主:垪和氏続(はがうじつぐ)、松平清宗(まつだいらきよむね)、天野康景(あまのやすかげ=徳川家康の側近、興国寺藩を立藩)
史跡:国の史跡
文化財・遺構:石垣、土塁、空堀、曲輪、天守台などが現存
備考:北条早雲(伊勢新九郎盛時)旗揚げの城という伝承がありますが、疑問視する研究者も

興国寺城

興国寺城

静岡県沼津市根古屋、すぐ横を東海道新幹線が駆け抜ける愛鷹山の山裾にあるのが、興国寺城(こうこくじじょう)。愛鷹山から派生する支尾根の篠山を利用して築かれた中世の城で、北条早雲(伊勢新九郎盛時)旗揚げの城。隠れた名城ですが、続日本100名城に

諏訪原城|続日本100名城

所在地:静岡県島田市菊川1174
築城年:天正元年(1573年)
築城者:武田勝頼の命で馬場信春(ばばのぶはる)
主な城主:松平家忠
史跡:国の史跡
文化財・遺構:土塁、曲輪、堀、馬出、井戸などが現存
備考:駿遠国境に、武田勝頼が遠州侵攻を目指して築城(対徳川の前線基地)
長篠の戦いの後、徳川家康が牧野城(まきのじょう)として整備し、現在残される遺構は徳川家康が改修した時代のもの

諏訪原城

諏訪原城

静岡県島田市金谷、牧之原台地の北端部、標高212m〜220mの台地に築かれた戦国時代の山城が、諏訪原城(すわはらじょう)。高天神城(現・掛川市)攻略を目指す武田勝頼が、天正元年(1573年)、家臣・馬場信春(ばばのぶはる)に命じて築城した城

高天神城|続日本100名城

所在地:静岡県掛川市上土方嶺向・下土方
築城年:16世紀初頭
築城者:今川氏
主な城主:小笠原氏興(おがさわらうじおき)、小笠原信興(おがさわらのぶおき)
史跡:国の史跡
文化財・遺構:曲輪、土塁などが現存
備考:徳川家康の対武田最前線の城

高天神城

高天神城

静岡県掛川市、小笠山から南東にのびる尾根の先端、標高132mの鶴翁山にある中世の山城で国の史跡、そして続日本100名城に選定されるのが、高天神城(たかてんじんじょう)。戦国時代には武田信玄、武田勝頼と徳川家康の攻防の地となり、二度にわたって

浜松城|続日本100名城

所在地:静岡県浜松市中区元城町100-2
築城年:元亀元年(1570年)
築城者:徳川家康
主な城主:徳川家康
史跡:浜松市の史跡
文化財・遺構:石垣、曲輪などが現存
備考:三方ヶ原の戦いで武田軍に手痛い敗北を喫し、命からがら逃げた城が浜松城
徳川家康の天下取りの起点となった城で、浜松城主となることが、徳川幕府誕生への登竜門だったことや、歴代城主の多くが後に江戸幕府の重役に出世したことから「出世城」とPRされています
鉄筋コンクリート造りの模擬天守は昭和33年の築

浜松城

1570(元亀元)年、武田信玄の西侵に備えるため、徳川家康は本拠地を三河国岡崎城(現・愛知県岡崎市)から遠江国浜松荘へ移します。さらに当時の地名、曳馬という名が「馬を引く」(敗北)に通じることから浜松荘(荘園の名)に因んで浜松と改めています

静岡県七大名城

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