高根城

高根城

静岡県浜松市天竜区水窪町にある中世の山城が、高根城(たかねじょう)。遠州(静岡県西部)と信州(長野県)との信遠国境に近い久頭合の山頂、標高420mに築かれた山城で、秋葉街道沿いの要衝です。戦国時代には武田信玄の遠江侵攻の拠点として機能した、武田方の城です。

武田信玄時代の山城の主殿、城門、井楼櫓を復元

高根城

応永21年(1414年)、後醍醐天皇の孫・尹良親王(ゆきよししんのう)を守るため、土地の豪族・地元豪族・奥山金吾正定則が築いたと伝えられますが、歴史学的には尹良親王の実在性に疑問符が付いています。
一帯は奥山郷と呼ばれ、奈良時代には信州の領域だったとか(信州・遠山郷から見て奥の山で、奥山郷)。

戦国時代の遠江は、駿河今川氏の所領でしたが、永禄3年5月19日(1560年6月12日)、桶狭間の戦い(おけはざまのたたかい)で今川義元が織田信長に討たれると、武田信玄は遠江へと侵攻を開始。
永禄12年(1569年)、城主・奥山貞益が守備する高根城を信州遠山郷の遠山氏が攻めて落城。
その後、武田方により改修が行なわれ、元亀2年(1572年)、武田信玄は織田信長と連合する徳川家康を討つため、大規模な遠江・三河侵攻を行ないますが、その拠点となったのがこの高根城です。

侵攻途中に信玄は吐血し、甲斐に戻りますが、元亀3年(1572年)10月3日、将軍・足利義昭の信長討伐令の呼びかけに応じて、遠江へと再度侵攻。
信玄本隊は馬場信春と青崩峠から遠江に、山県昌景と秋山虎繁の分隊は徳川家康の三河へ向かい、本隊は二俣城の戦いで二俣城を落とし、三方ヶ原の戦いで徳川家康を窮地に陥れます(家康は命からがら浜松城へ帰還)。

さらに武田信玄は浜名湖の北岸に陣取って、野田城(愛知県新城市)を奪いますが(城主・菅沼定盈は開城降伏=黒澤明の映画『影武者』のモチーフとなった攻城戦)、野田城を攻略後の吐血して、元亀4年4月12日(1573年5月13日)、甲斐に引き返す三河街道途中で死去。

その後、天正3年5月21日(1575年6月29日)、長篠の戦いで武田勝頼が敗れると、高根城は廃城になっています。

現在は、発掘調査をもとに本曲輪(ほんくるわ)部分に井楼櫓(せいろうやぐら)、主殿、城門などが復元され、武田氏領有時代の山城の雰囲気を味わうことができます。
高根城公園駐車場から徒歩15分〜20分ほど(上り坂と階段で、標高差130m)で本曲輪。

日本100名城、続日本100名城などには選定されていませんが、戦国時代の隠れた名城のひとつで、武田信玄、徳川家康攻防の地のひとつ。

高根城
名称 高根城/たかねじょう
所在地 静岡県浜松市天竜区水窪町地頭方184
関連HP 浜松市公式ホームページ
ドライブで 新東名高速道路浜松浜北ICから約47km
駐車場 高根城公園駐車場を利用
問い合わせ 浜松市役所市民部文化財課 TEL:053-457-2466/FAX:053-457-2563
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

高根城

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