蔦の細道

蔦の細道

静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷と藤枝市岡部町の境、宇津ノ谷峠越えの最も古い道が蔦の細道(つたのほそみち)。律令時代の駅伝制では郡家間交通路の伝馬の道、平安時代からは官道(現在の国道)として多くの人が往来した古道で、ハイキングコースとして現存しています。

『伊勢物語』にも登場する東海道の古道

蔦の細道

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が小田原攻めの際に、それまでの古道では大量の軍馬の通行が困難ということで1km西に新しい峠道(東海道)を開くまで、京・畿内と東国を結ぶ幹線道路の一部がこの宇津ノ谷峠越えの古道でした。
『伊勢物語』の中で主人公の在原業平(ありわらのなりひら)が「駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に逢わぬなりけり」と記したことから、江戸時代以降「蔦の細道」と呼ばれるようになっています。
『平家物語』、『十六夜日記』、『東関紀行』、『吾妻鑑』などにも記された文人あこがれの峠越えの道で、藤原俊成は「夢路にもなれし屋とみるうつつには うつの山辺の蔦ふける庵」と、藤原定家は「都にも今や衣にうつの山 ゆふしもはらふ蔦のしたみち」、兼好法師は「ひと夜ねしかやの松尾の跡もなし 夢かうつつか宇津の山ごえ」などと歌っていますが、必ずしも実際に峠を越えたわけではなく、想像で歌われるほどの有名な場所だったということに。

現在はその古道が復元されハイキングコースとなっており道の駅宇津ノ谷峠から岡部側のつたの細道公園まで2km、所要1時間ほどの行程。
峠の直下には立場茶屋のあった宇津ノ谷の集落が往時のままに残されています。

蔦の細道近くには、宇津ノ谷隧道(明治のトンネル)なども現存し、日本遺産「日本初『旅ブーム』を起こした弥次さん喜多さん、駿州の旅~滑稽本と浮世絵が描く東海道旅のガイドブック(道中記)~」の構成資産にもなっています。

蔦の細道
空から眺めた宇津ノ谷峠
蔦の細道
名称 蔦の細道/つたのほそみち
所在地 静岡県静岡市駿河区宇津ノ谷・藤枝市岡部町岡部
関連HP するが企画観光局公式ホームページ
ドライブで 東名高速道路静岡ICから約9km
駐車場 なし/道の駅宇津ノ谷峠駐車場を利用
問い合わせ するが企画観光局 TEL:054-251-5880
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
宇津ノ谷隧道(明治のトンネル)

宇津ノ谷隧道(明治のトンネル)

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