静岡県静岡市葵区、駿府城公園の駿府城本丸跡(沈床園)に立つのが、徳川家康公之像。徳川家康が余生を送る地と定め、将軍を息子の秀忠に譲った後も大御所として権力を維持した隠居の城に立つ像で、まさに駿府城公園(駿府城本丸、二ノ丸跡)のシンボル的な存在。
駿府で鷹狩に興じる家康を表現した家康晩年の姿
徳川家康は、8歳〜19歳に今川家の人質として暮らした時代、天正13年(1585年)に駿府城を築城し、三河・遠江・駿河・甲斐・信濃の5ヶ国を支配した壮年期、晩年の65歳から亡くなる75歳までの10年間を駿府で過ごしていますが、静岡駅前の像が若き竹千代時代と壮年期、そして駿府城本丸跡が、晩年(大御所時代)の像となっています。
晩年の姿を表した徳川家康公之像は、高さ6.5m(像高3.5m)の銅像。
昭和48年11月、静岡市観光協会創立40周年を記念して建立されたもので、賀茂郡仁科村(現・西伊豆町仁科)出身で、西伊豆で創作活動を続けた堤達男(つつみたつお)の制作。
『清水次郎長像』(梅蔭寺)、御前崎ケープパークの『潮騒の像』、入江長八胸像(松崎町・浄感寺)、『草原を駆ける男』(伊豆スカイライン・亀石峠)で知られる彫刻家で、駿府城公園では『やすらぎの塔』も手掛けています。
左手に鷹を持つのは、鷹狩に出かけた際の家康だから。
そのため『徳川家康公鷹狩り像』の名もあります。
徳川家康は大御所と称して駿府城で暮らすようになってからは、根津政直(根津松鴎軒)や小林家鷹といった名だたる鷹匠たちを多く召し抱え、高禄をもって遇しています。
初夢の縁起「一富士、二鷹、三茄子」の鷹は、駿府が鷹狩りの地であることを表し、茄子も三保の茄子が特産だったことから、すべて駿府のこととも推測できます。
駿府城内には紀州から届いたミカンを本丸に手植えしたという「家康公手植のミカン」(静岡県の天然記念物)もあり、ゆかりの地となっています。
徳川家康公之像(駿府城本丸跡) | |
名称 | 徳川家康公之像(駿府城本丸跡)/とくがわいえやすこうのぞう(すんぷじょうほんまるあと) |
所在地 | 静岡市葵区駿府城公園1-1 |
関連HP | 駿府城公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR静岡駅から駿府浪漫バスで15分、東御門下車 |
ドライブで | 東名高速道路静岡ICから約5km。または、新東名高速道路新静岡ICから約9km |
駐車場 | 市民文化会館地下駐車場(246台/有料)を利用 |
問い合わせ | 駿府城公園二ノ丸施設管理事務所 TEL:054-251-0016/FAX:054-251-0056 |
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