神子元島灯台

神子元島灯台

静岡県下田市の下田港沖11kmに位置する小島、神子元島(みこもとしま)に建つ灯台が神子元島灯台。まだ旧暦表記時代の明治3年11月11日(1871年1月1日)に初点灯という歴史ある灯台で、海上保安庁の日本の灯台50選、そして、国際航路標識協会(IALA)が選定した「世界歴史的灯台百選」にも数えられるほか、国の史跡になっています。

ブラントン設計の歴史ある灯台が現役!

神子元島灯台

幕末の開港を前に、江戸幕府とアメリカ、イギリス、フランス、オランダの4ヶ国との間で結ばれた改税約書(江戸条約)に基づき建設された、条約灯台8基(観音埼灯台、野島埼灯台、樫野埼灯台、神子元島灯台、劔埼灯台、伊王島灯台、佐多岬灯台、潮岬灯台)ひとつの。
開国と同時に、欧米列強は、横浜への航路を設けますが、そのため伊豆半島をかわすためにも下田沖は重要な場所だったのです。
清国と横浜を結ぶ航路でも、佐多岬などと並んで重要だった灯台で、初点灯には三条実美、大久保利通、大隈重信ら明治の元勲とイギリス公使ハリー・パークス(Sir Harry Smith Parkes)が来島し立ち会っているのもそのためです。
幕末の元治元年(1864年)、イギリスのP&O汽船会社(Peninsular and Oriental Steam Navigation Company)が上海と開港直後の横浜の間に月2回の定期航路を開設し、明治政府にとっても条約灯台建設は最重要課題だったのです。

灯台の設計・建設指導は「灯台の父」として知られるリチャード・ヘンリー・ブラントン(Richard Henry Brunton)。
紀伊大島の樫野埼灯台(和歌山県串本町)に次いで建設されたということからも、その重要性がよくわかります。

神子元島の英名はロック・アイランド(Rock Island)というようにまさに岩礁の島で、釣り人には有名です。
その岩の上に黒と白に塗られた塔高23.31mの円形・石造灯台が建ち、灯火部分は海面から50.79mに位置しています。
28万2000カンデラという強力な光で(第3等大型レンズ)、19.5海里(36km)沖まで光が届きます(電力は自家発電で充足)。

灯塔の築造には下田の恵比須島・千畳敷から伊豆石を切り出して使用。
中層、下層部の継ぎ目には、稲取の火山灰(現・東伊豆町)と梨本の石灰岩(現・河津町梨本)を使って焼成したセメントが使われています(古代ローマ時代のパンテオンは、火山灰、石灰、火山岩、海水を混ぜ合わた「ローマン・コンクリート」でつくられています)。

大正2年10月28日、歌人・若山牧水は、下田港から灯台用便船で、神子元島に渡っています。
灯台守をしている大学時代の学友・古賀安治を訪ねるためで、「友が守る灯台はあはれわだなかの蟹めく岩に白く立ち居り」という歌を残しています。
「神子元島は島とは云ふものゝ、あの附近の海に散在してゐる岩礁の中の大きなものであつた。赤錆びた一つの岩塊が鋭く浪の中から起つて立つてゐるにすぎなかつた。島には一握の土とてもなく、草も木も生えてはゐなかつた。其處の一番の高みに白い石造の燈臺が聳え、燈臺より一寸下つたところに、岩を刳(く)り拔いた樣にして燈臺守の住宅が同じく石造で出來てゐた」(若山牧水『樹木とその葉』)。
神子元島灯台の灯台守は、昭和7年から島での常駐をやめ、昭和51年には完全に無人化されています。

世界灯台100選に選ばれる日本の灯台5ヶ所

世界灯台100選(The IALA list of 100 lighthouses as historic and architectural monuments)に選定の灯台は、国内では神子元島灯台を含め、5ヶ所です。

・犬吠埼灯台(千葉県銚子市)
・姫埼灯台(新潟県佐渡市)
・神子元島灯台(静岡県下田市)
・美保関灯台(島根県松江市)
・出雲日御碕灯台(島根県出雲市)

名称 神子元島灯台/みこもとしまとうだい
所在地 静岡県下田市
関連HP 下田市公式ホームページ
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神子元島灯台

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