三嶋大社

三嶋大社

古くから伊豆国一之宮として、信仰を集めた古社が静岡県三島市に鎮座する三嶋大社。三島市は律令時代に伊豆国の国府があった地。蛭ヶ小島に配流されたという源頼朝が源氏の再興を三嶋大社に祈願し、宿願を実らせたなど、多くの伝説が残されています。伊豆諸島の開拓神でもあり、伊豆開拓の歴史を秘める古社になっています。

伊豆開拓の歴史に関わる古社で、伊豆国一之宮、総社

三嶋大社
重さ400kgの注連縄がかかる総門
三嶋大社
慶応3年(1867年)築の神門

伊予国大三島(現・愛媛県今治市大三島町)の大山祇神社が三宅島(富賀神社)に遷座したという伝説もあり、伊豆諸島に対する尊称「御島」(みしま)が社名の由来ともいわれ、創建は定かでありません。
祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)、積羽八重事代主神(つみはやえ ことしろぬしのかみ=恵比寿様)。
当初、積羽八重事代主神が伊豆諸島に鎮座し、その後、下田市白浜に遷座、さらに伊豆国府に遷ったとするのが通説ですが、もともとこの地に大山祇命が鎮座していた可能性もあります。
そのため現在も大山祇命、積羽八重事代主神の2柱が祭神となっています。

広大な境内には、うっそうとした森、神の使いといううなぎが安住する神池(しんち)、重厚な社殿群などが点在。
神池では、源頼朝が放生会を行なったと『吾妻鏡』(鎌倉時代の歴史書)に記されています。
神馬舎の隣には、頼朝腰掛石、北条政子腰掛石もあることから、頼朝伝承が根付いていることがよくわかります。

頼朝が鎌倉幕府を開いて以降、箱根権現(現・箱根神社)と結んで参詣する箱根越えの道が普及し、古代の東海道である足柄越えに代わって東海道として定着。
江戸時代には参勤交代の諸大名が参詣する社になったのです。

幕末の慶応2年(1866年)再建の本殿は、総欅素木造り(そうけやきしらきづくり)で国の重要文化財。
名工・小沢半兵衛による彫刻も見事です。
平成12年に国の重要文化財となった本殿、幣殿、拝殿には優れた彫刻が施されていますが、拝殿前に建てられている舞殿(ぶでん)、神門にも、欅材を用いた彫刻があります。
舞殿には、中国の孝行話『二十四孝』が彫られており、ぐるりと一巡すると話が完結する仕組み。

三嶋大社
拝殿は、幣殿、本殿と連なる複合社殿

宝物館に展示の北条政子奉納の国宝『梅蒔絵手箱』は必見

三嶋大社
神池
三嶋大社
薄黄木犀

また国の天然記念物に指定される薄黄木犀(うすきもくせい)の樹齢は1200年以上と推定されている巨木。
例年9月下旬〜10月上旬に満開に。
甘い芳香は2里先まで届いた伝えられています。

伊豆の国府にも近く、神主職は、伊豆国造の後裔を称する矢田部氏(やたべし)が代々世襲しることから、伊豆総社を兼ねたとも推測できます。

また宝物館では、北条政子奉納の国宝『梅蒔絵手箱』(うめまきえてばこ)のレプリカ(実物は東京国立博物館に寄託)や国指定の重要美術品の『三嶋本日本書紀』などが観賞できます。

三島市最大のイベントである『三嶋大社例祭』は、8月15日〜8月17日に齋行(8月15日=宵宮祭、8月16日=例祭、8月17日=後鎮祭)。

伊豆諸島では、祭神の大山祇命の后神(きさきがみ=妻)や御子神(みこがみ=子供)が祀られています。
富士山、箱根山、伊豆諸島の火山活動が活発化すれば、その沈静化の役割を三嶋大社が担い、大きな噴火のたびに神格化を高めていったという歴史から伊豆半島ジオパークのジオサイト「三嶋大社:自然と歴史がであう場所」にもなっているのです。

三嶋大社
宝物の数々を収蔵展示する宝物館
三嶋大社
国宝『梅蒔絵手箱』のレプリカ

 

三嶋大社
名称 三嶋大社/みしまじんじゃ
所在地 静岡県三島市大宮2-1-5
関連HP 三嶋大社公式ホームページ
電車・バスで JR三島駅から徒歩10分
ドライブで 東名高速道路沼津ICから約7km
駐車場 55台/有料
問い合わせ 三嶋大社 TEL:055-975-0172/FAX:055-975-4476
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

取材協力/三嶋大社、三島市

三嶋大社

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