土肥金山が支えた! 徳川家康の天下統一と「太平の江戸時代」

徳川家康を支えた土肥金山

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の後、徳川家康は関東(後北条氏の旧領)に転封されていますが、そのなかには土肥金山(現・静岡県伊豆市土肥)のある伊豆国も含まれていました。家康はすぐに土肥金山の開発を進め、その軍資金で天下統一、さらには太平の世をもたらしているのです。

家康の関東転封で伊豆半島の金山が手に入る!

徳川幕府の金山というと、佐渡金山を思い浮かべる人が多いと思われますが、実は佐渡金山に先行して開発されたのが伊豆の土肥金山です。
もともと南洋の火山島で、気の遠くなるような長い年月(2000万年前には現在の硫黄島付近の緯度にあった海底火山)を費やして日本列島にぶつかってという伊豆半島(年間4cm〜5cm北上)。

火山活動で地下水がマグマによって熱せられ、地層内にあった金や銀の成分が熱水に溶け込み、その熱水が岩石の割れ目や断層に噴き出して冷え固まったのが金鉱石。

伊豆半島は、こうしたプロセスを経た金鉱脈が各地にあり、土肥金山を筆頭に、龕附天正金鉱、縄地鉱山(なわじこうざん/河津町)、清越鉱山(せいしこうざん/伊豆市土肥)、持越鉱山(伊豆市持越)、瓜生野金山(うりうのきんざん/後の大仁鉱山/伊豆市瓜生野)、河津鉱山(蓮台寺金山/下田市蓮台寺、下田温泉の温泉源)など数多くの金山で近年まで採掘が行なわれていた鉱山もあったのです。

天正5年(1577年)、小田原の北条氏直(ほうじょううじなお)の配下・市川喜三郎は、土肥で金山開発に乗り出しています。これが現存する土肥金山と、龕附天正金鉱。
豊臣秀吉が小田原征伐をする際も軍資金は、天正大判(秀吉の命で鋳造された世界最大級の金貨)・小判でしたが、対する北条家も伊豆の金山を開発し、軍資金に当てていたのだと推測できます。

小田原征伐後、秀吉は家康の5ヶ国(三河・遠江・駿河・甲斐・信濃)を取り上げ、まだ多くが湿地の江戸を含めた関東に転封していますが、北条氏の旧領に「金鉱脈のある伊豆」があることを見落としていたのかもしれません(あるいは相互の了解事項だったのかも)。

龕附天正金鉱
手掘りの状態が残される龕附天正金鉱

大久保長安が「土肥千軒」の繁栄を生む

土肥金山・坑道内にある山神社
土肥金山・坑道内にある山神社

伊豆を領有すると、すぐさま家康は慶長元年(1596年)、蓮台寺金山を開発などに着手。
慶長6年(1601年)には彦坂元正(ひこさかもとまさ)を伊豆金山奉行に任命し、金山の開発を急がせます。
残念ながら金山の知識に乏しい彦坂元正は成果を上げることができず、家康は慶長11年(1606年)、幕府金山奉行である大久保長安(おおくぼながやす)を伊豆の金山の直轄支配を命じ、新技術を導入して大量の金鉱石を算出するようになります。
「土肥千軒」という繁栄が生み出されたのもこの頃で、慶長18年(1613年)、もともと北条家で金山奉行だった市川家の市川助右衛門が伊豆金山奉行を拝命。
市川助右衛門が没する元和6年(1620年)頃までが全盛で、ついには掘り尽くして寛永2年(1625年)に休山、その後復鉱しましたが、江戸時代中期に廃鉱となっています。

つまり、江戸時代初期に家康の財政を支えたのが土肥金山で、後に佐渡金山がメインとなるまでの幕府財政に大きく寄与したということに。
土肥金山の金鉱石は1tから20~30gの金が採れた良質なもので、家康は関東転封で、良質な金山獲得という幸運を手に入れたといえるのかもしれません。

慶長小判の鋳造で、通貨単位も諸国統一を実現

金鉱石を使っての貨幣(慶長大判・慶長小判)の鋳造は、当初は江戸で、慶長6年(1601年)頃からは京で行ないましたが、慶長12年(1607年)〜元和2年(1616年)の間は土肥金山に近く、しかも家康が大御所政治を行なった駿府城(静岡市)の城下で行なっています。

家康の駿河時代(大御所時代)は、慶長10年(1605年)〜元和2年(1616年)なので、駿府で金貨を鋳造した時期とピッタリと一致します。

土肥で産する金鉱石は駿河湾の海路、御用船(千石船)で駿府へと運んだわけで、現在の駿河湾フェリーと一致するような航路です。
家康は、秀吉の時代から大判・小判の鋳造に関わっていた後藤庄三郎光次を駿府に招き、駿府金座(現・日本銀行静岡支店の場所)で鋳造したのが駿河小判(慶長小判)。
日本最初の統一通貨ともいえる存在で(当時、東日本は金本位、西日本は銀本位でした)、慶長14年7月19日(1609年8月18日)、家康は三貨の御定相場として金一両=銀五十匁=永一貫文=鐚四貫文という相場を定め、流通経済(通貨単位)も諸国統一を実現しています。

安倍川の上流の日影沢金山(ひかげざわきんざん)などとともに、土肥金山で産する金鉱石は大御所時代の繁栄、江戸城の建設、さらんは江戸の街作りなどの土木事業をも支えたのです。

駿河湾フェリー
土肥と静岡(清水)を結ぶ駿河湾フェリー
土肥金山が支えた! 徳川家康の天下統一と「太平の江戸時代」
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土肥金山

土肥金山

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龕附天正金鉱

龕附天正金鉱

静岡県伊豆市土肥、西伊豆で金山といえば、土肥金山が有名ですが、穴場ともいえる隠れた金鉱が、龕附天正金鉱(がんつきてんしょうきんこう)。天正5年(1577年)に開鉱という伊豆最古の金鉱で、伊豆市の文化財にも指定。手掘りの坑道が現存し、奥行きは

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佐渡金山(新潟県)、金鶏金山(長野県)、湯之奥金山(山梨県)、そして土肥金山(静岡県)の4金山を結ぶのが「黄金KAIDO」。4県連携の黄金KAIDOプロジェクトで、清水港(静岡市清水区)と土肥港(伊豆市)を結ぶ駿河湾フェリーが黄金色に塗られ

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