蛭ヶ小島(蛭ヶ島公園)
平治の乱で、父・義朝が知多半島で入浴中に暗殺され、源頼朝も死罪が確実視されていました。そんな世情の中、源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いで奇跡的に助命され、永暦元年(1160年)、伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に配…
平治の乱で、父・義朝が知多半島で入浴中に暗殺され、源頼朝も死罪が確実視されていました。そんな世情の中、源頼朝は、平清盛の継母・池禅尼の命乞いで奇跡的に助命され、永暦元年(1160年)、伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)に配…
上野の寛永寺で謹慎する徳川慶喜は、慶喜護衛のために結成された精鋭隊のトップで旧幕臣の山岡鉄舟に、駿府(すんぷ=現・静岡市)に布陣する官軍・西郷隆盛を訪ねて、恭順の意思を伝えます。その会見が行なわれたのが現在の静岡駅前、上…
正長元年(1428年)、月窓義運禅師(げっそうぎうんぜんじ)が浜松に開山した曹洞宗の寺、西来院(せいらいいん)。本尊は釈迦牟尼仏。境内には徳川家康の正室・築山御前(つきやまごぜん=瀬名姫)の廟堂(月窟廟)、家康の異父弟・…
創祀は仁徳天皇の御代という浜松市街にある古社で『延喜式神名帳』にある蛭田(ひるた)郷許部(こべ=現・浜松市中区小沢渡町)にあった許部神社(こべじんじゃ)がこの浜松八幡宮なのだとか。しかもこの浜松八幡宮の松が、浜松という地…
徳川家康の正室・築山御前(つきやまごぜん=瀬名姫)が、徳川家康の命により、家康の家臣・野中重政に殺害されたのは、天正7年(1579年)8月29日。野中重政が刀を洗ったといわれる池があったのは、浜松医療センターが建つあたり…
応永12年(1405年)、長安坊がこの地に草庵を構えたのが始まりという浜松市天竜区二俣町にある古刹。戦国時代さなかの天正7年(1579年)9月25日、徳川家康の長男・松平信康は、妻である徳姫(織田信長の娘)に武田方に内通…
静岡県浜松市天竜区二俣町、天竜川と二俣川に挟まれた文字通りの二俣の要害に建つ中世の山城が二俣城。遠州二俣は信濃国(長野県)側から見れば遠州の入口で、舟運の拠点となる場所。戦国時代の初め、平地に笹岡古城を今川氏が築いたのが…
建徳2年(1371年)、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ/後醍醐天皇の皇子=円明大師)が開いた東海屈指の名刹。山号は深奥山(じんのうざん)。方広萬寿禅寺が正式な寺の名ですが方広寺・奥山半僧坊(地元では「半僧坊」)と通称…
静岡市用宗(もちむね)から、焼津市浜当目(はまとうめ)に至る全長約4kmの大崩海岸。糸魚川静岡構造線の南の端に位置し、富士山の大沢崩れ、静岡市安倍奥の大谷崩れと並び「駿河三大崩れ」に数えられ、東海の親不知(おやしらず)と…
遠州灘に沿って走る国道150号の別名は、1(いち)5(ご)の語呂合わせもあって「いちごライン」。この国道150号から久能山中腹まで、石垣いちごの温室がびっしりと建っています。石垣いちごとは、その名の通り、石垣の間にはい上…
鞠子宿(丸子宿)と岡部宿の間にある東海道の難所、宇津ノ谷峠(うつのやとうげ)。平安の昔から現在まで東海道はこの宇津ノ谷峠を抜けています。聞き慣れない地名ですが、ユニークなのはここが「道路の博物館」ともいうべき存在なこと。…
静岡市街(静岡平野)に岬のように突き出した賤機山(しずはたやま)の南端、静岡浅間神社の境内に位置するのが賤機山古墳。標高50mほどの尾根筋に築かれた直径32m、高さ7mの円墳で、内部には巨石を組んだ横穴式の石室(せきしつ…
駿河国(するがのくに)の総社が静岡市にある静岡浅間神社。静岡駅から北へ2km、賎機山(しずはたやま)の南麓にあり、神部神社(かんべじんじゃ)、浅間神社(あさまじんじゃ)、大歳御祖神社(おおとしみおやじんじゃ)の3つを総称…
浜松市北区引佐町(いなさちょう)の竜ヶ岩山(りゅうがしやま)南麓にある、東海地方最大の鍾乳洞が竜ヶ岩洞。鍾乳洞の石灰岩は、2億5000万年前の秩父古生層。全長1046mのうち、現在公開されるのは400mほど。洞内の気温は…
寺伝によれば天平5年(733年)、行基によって開かれた奥浜名の古刹が龍潭寺(りょうたんじ)。井伊氏初代当主・井伊共保(いいともやす)は、寛治7年(1093年)に没すると八幡山地蔵寺(現・龍潭寺)に葬られ、以降豪族・井伊氏…
大井川の川止めで栄えたかつての宿場町、島田宿。江戸時代の旅人は、この「越すに越されぬ」大井川を、川越人足の助けによって渡っていました。川岸にある島田宿大井川川越遺跡には、川越えの料金を決める川会所(かわかいしょ)や、川札…
三保松原のシンボルともいえるのが羽衣伝説を残す羽衣の松。その羽衣の松は、実は御穂神社(みほじんじゃ)の神が降臨する依代(よりしろ)で、ここに降り立った神々は、500mほどの神の道を通って御穂神社へと誘われるのだという。
静岡市清水区三保の三保松原入口に鎮座する古社、御穂神社(みほじんじゃ)。平安時代編纂の『延喜式』神名帳にも記載の古社で、神社境内と参道(神の道)は、世界文化遺産「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産にもなっています…