静岡県浜松市中区の佐鳴湖近くにある縄文時代後期から晩期(3000年~4000年前)頃の集落遺跡で国の史跡に指定されるのが、蜆塚遺跡(しじみづかいせき)。貝塚から蜆(ヤマトシジミ)が多く出土したことがその名の由来となっていて、一帯は蜆塚公園として整備され、浜松市博物館が建っています。
浜松市の佐鳴湖近くにある縄文遺跡
蜆塚公園として整備された蜆塚遺跡は、発掘位置をそのまま保存した貝層断面観察施設も設けられていて、縄文人ゴミ捨て場から食生活を垣間見ることができます。
三方原台地は酸性の土壌で、本来は縄文人が投棄した貝なども腐食してしまいます。
しかし投棄量が膨大だったため、外側の貝のカルシウムなどが内側の貝を守り、縄文の食生活を現代へと伝えたわけで、縄文時代の貝塚はもっと巨大だったことは明らか。
遺跡からは4ヶ所の貝塚のほか、住居跡や墓所(穴に屈葬で埋葬)が出土。
台地の上に、貝塚や住居跡が環状に並んでいますが、海面標高が今より高かった縄文時代には、佐鳴湖が海につながる入江で、遺跡のすぐ近くの北の谷まで海(佐鳴湖)が迫っていたことが推測できます。
蜆塚公園内には、復元住居があるほか、江戸時代の民家「旧高山家住宅」が村櫛町から移築保存されています(旧高山家住宅と貝層断面観察施設は、浜松市博物館開館日のみ公開)。
縄文のムラでは、4~5軒の家で20人くらいが生活していたとみられ、平均して身長が150cm、35歳~40歳ほどの寿命だったとか。
遺跡からの出土品は遺跡南側の浜松市博物館に収蔵展示されていますが、出土した土器は、初期は東日本的土器文様(磨消縄文)でしたが、後期は西日本的な施文法が主流となっており、当時すでに一帯が東西の文化の交流地だったことがわかっています。
装身具として使用されていたヒスイは、日本海側、新潟県・姫川で産出した原石で、縄文人の交流の範囲がかなり広かったことを物語っています。
蜆塚遺跡 | |
名称 | 蜆塚遺跡/しじみづかいせき |
所在地 | 静岡県浜松市中区蜆塚四丁目22-1 |
関連HP | 浜松市公式ホームページ |
電車・バスで | JR浜松駅から遠州浜蜆塚線バスで15分、博物館下車 |
ドライブで | 東名高速道路浜松西ICから約8km |
駐車場 | 22台/無料 |
問い合わせ | 浜松市市民部博物館 TEL:053-456-2208/FAX:053-456-2275 |
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