静岡県静岡市清水区にある江戸時代に現在の小島地区一帯を統治した駿河国小島藩(おじまはん)の陣屋跡が小島陣屋跡。小島藩は2万石という小藩で、城を構えることが許されず、藩主の居館は小島陣屋でした。小島陣屋の遺構として石垣などが現存し、藩政時代にここに藩庁があったことを今に伝えています。
1万石の小藩ながら譜代大名の陣屋跡
静岡県民でもあまり知られていない、小藩の小島藩。
元禄2年(1689年)、松平信孝(まつだいらのぶなり)が4000石を加増されて1万石となり、大名に列して小島藩を立藩。
松平信孝は、丹波国篠山藩2代藩主・松平典信(まつだいら すけのぶ)の庶長子(側室から生まれた長男)で、寛文11年(1671年)、大叔父・松平重信(駿府城代)の養子となり(篠山藩は次男が継承)、その死後、家督を継ぎ、小島藩を立藩しています。
ところが立藩翌年、弱冠36歳でこの世を去り、松平信治(松平信孝の甥)が2代藩主となり、宝永元年(1704年)、所領が3郡にまとまったことから陣屋を小島に移しています。
これが小島陣屋の始まり。
小島陣屋跡は、興津川右岸(上流から見て右岸)の河岸段丘上にあり、興津川の右岸沿いを走る国道52号は、かつての甲州往還。
身延山久遠寺への参詣道として利用されたことから「身延路(みのぶみち)」とも呼ばれた街道です。
明治元年に上総国に転封となるまで、安倍、有度、庵原の30ヶ村を支配する小島藩の藩庁として機能しました。
1万石という小藩でしたが、譜代大名なので(三河十八松平家の末裔で、松平信孝は将軍・綱吉の若年寄)、河岸段丘を生かした3段の曲輪(くるわ)で、城郭風の縄張りとなっています。
馬場石垣など、おもな石垣は高さ2mほど(大手の一部で4m)で、建築物がないため一見すると棚田のような感じです。
往時の御殿の一部は、「小島町文化財資料館」として移築保存されています(小学校施設、公民館等として使われてきたため、改変されています)。
小島陣屋跡の北、酒瓶神社(さかべじんじゃ)は、小島藩主の鎮守社で、鳥居、拝殿前の灯籠は、幕末の小島藩主・松平信進の寄進です。
小島陣屋跡 | |
名称 | 小島陣屋跡/おじまじんやあと |
所在地 | 静岡県静岡市清水区小島本町・小島町地内 |
関連HP | 静岡市公式ホームページ |
電車・バスで | JR清水駅からバスで小島、または、栗原下車、徒歩10分 |
ドライブで | 新東名高速道路新清水IC・東名高速道路清水ICから約9km |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 静岡市観光交流文化局文化財課 TEL:054-221-1069/静岡市埋蔵文化財センター TEL:054-367-9436 |
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