久延寺

久延寺

静岡県掛川市、旧東海道日坂宿と金谷宿の間の中山峠は、遠州の小箱根とも呼ばれた険しい峠。その峠の中腹に建つのが小夜の中山(さよのなかやま)の久延寺(きゅうえんじ)。天下分け目の決戦前に、掛川城主・山内一豊が、会津上杉征伐途中の徳川家康を接待した寺で、境内には伝説の夜泣き石があります。

境内には有名な子泣き石も

久延寺

小夜の中山久延寺は、文化2年(1805年)に曲亭馬琴(きょくていばきん)が著した伝奇小説『石言遺響』(せきごんいきょう)に登場する夜泣石伝説の舞台で、山賊の轟業右衛門(とどろきごうえもん)に殺された妊婦・お石のお腹の赤ん坊だけが助かり、小夜の中山の久延寺の住職がその子を引き取って、水飴やもらい乳で育てたという話です。

本堂右手には、妊婦・お石の霊が宿ってすすり泣いたという、伝説の夜泣き石があり、今も久延寺には子供を無事に授かるようにという参拝客が絶えることがありません。

万治2年(1659年)に浅井了意が記した仮名草子(かなぞうし)の『東海道名所記』(神社仏閣、名所旧跡を訪ねながら江戸から宇治までを旅する名所記)には、夜泣き石ではなく、夜泣きの松になっています。
江戸時代後期、西村白烏の記した『煙霞綺談』(えんかきだん)に「佐夜の中山夜啼き石といひはやらせしは、享保の中此よりの事なり」と記され、享保年間(1716年〜1736年)の事件としていますが、それ以前の万治2年(1659年)に「夜泣きの松」の話が記載されているので、江戸時代の半ばに「夜泣きの石」として流布したのかもしれません。

遠州七不思議のひとつに数えられるのが、「夜泣き石」(「夜泣き松」)です。

久延寺近くには小夜の中山公園、伝説の「子育て飴」を売る扇屋があります。

久延寺
伝説の「夜泣き石」

掛川城主・山内一豊が家康を接待した茶亭跡も

久延寺
茶亭跡

慶長5年6月24日(1600年8月3日)、大坂(6月16日に出立)から会津の上杉景勝(うえすぎかげかつ)討伐に向かう徳川家康を、掛川城主・山内一豊は、小夜の中山の久延寺境内に建てた茶亭で、もてなしています。
「小夜の中山公園」近くには茶の湯に使った御上井戸(おかみいど)の跡、そして茶亭のあった場所には茶亭跡の碑が立っています。
NHK大河ドラマ『功名が辻』でも描かれたシーンですが、織田家の家臣で、小牧・長久手の戦いでも羽柴秀吉方でしたが、会津へと向かう家康を、まずは領内の小夜の中山で接待し、さらに慶長5年7月25日(1600年9月6日)の小山評定(おやまひょうじょう)では、尾張国清洲城主・福島正則(ふくしままさのり)が家康のために命を投げ出すことを誓い、続いて山内一豊が、「家康に城を明け渡してまでもお味方します」と進言しています。
織田・豊臣恩顧の山内一豊にとっては、この久延寺での接待は、まさに存亡を賭けた生き残り策だったといえるでしょう。

遠州七不思議とは!?

遠州七不思議は、「夜泣き松」、 「海鳴り(波小僧)」、「片葉の葦」、「三度栗」、「桜ヶ池」、「天狗の火」、「子生まれ石」などを基本に、さまざまな説があります。

・夜泣き石・夜泣き松(掛川市佐夜鹿、小夜の中山)
・海鳴り・波小僧(遠州灘)
・片葉の葦(菊川市三沢)
・三度栗(菊川市三沢)
・桜ヶ池の大蛇(御前崎市佐倉)
・天狗の火(御前崎市)
・子生まれ石(牧之原市西萩間、大興寺)
・池の平の幻の池(浜松市天竜区水窪町池の平)
・京丸牡丹(浜松市天竜区春野町)
・能満寺のソテツ(吉田町片岡、能満寺)
・無間の鐘(掛川市東山、粟ヶ岳)
・柳井戸(浜松市北区引佐町)
・晴明塚(掛川市大渕)

久延寺
名称 久延寺/きゅうえんじ
所在地 静岡県掛川市佐夜鹿291
関連HP 掛川市公式ホームページ
電車・バスで JR掛川駅から掛川バス東山行きで30分、八幡宮前下車、徒歩50分。またはJR金谷駅からタクシーで10分
ドライブで 新東名高速道路島田金谷ICから約7km
駐車場 6台/無料
問い合わせ 掛川市商工観光課 TEL:0537-21-1149
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

久延寺

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