静岡県伊東市渚町、伊豆大島への高速船が出航する伊東港近く、松川(伊東大川)の河口にあるのが按針メモリアルパーク。按針とは三浦按針(ウィリアム・アダムス)のことで、日本に漂着したアダムスは、徳川家康の命により、伊東に日本で初めての造船ドックを設け、洋式帆船を建造しています。
三浦按針(ウィリアム・アダムス)が帆船を造った地
三浦按針(ウィリアム・アダムス)は、真田広之がプロデュース・主演を務めた『SHOGUN 将軍』(第76回エミー賞で史上最多となる18の賞を受賞)に登場するイギリス人航海士のジョン・ブラックソーンは、徳川家康が旗本に取り立てた三浦按針(ウィリアム・アダムス)がモデル。
ウィリアム・アダムスは関ヶ原の戦いの半年ほど前の慶長5年3月16日(1600年4月29日)、「リーフデ号」(De Liefde)が豊後国臼杵(現・大分県臼杵市)の黒島に漂着したことで、当時の五大老・徳川家康の居城、江戸へと送られますが、江戸湾に係留されていた「リーフデ号」が沈没したことを受け、家康に西洋式の帆船を建造を命じられ、造船所に適した場所を探し、伊東にドックを築いています。
鎌倉幕府は、建保5年(1217年)由井ヶ浜で唐船を建造していますが、遠浅だったことから進水に失敗し、そのまま朽ち果てるという失態を生じています。
そのことを家康は知っていたのか、天城山から材木が確保できる天領の伊東、松川(伊東大川)河口に造船所を築いています。
松川(伊東大川)の河口に近い砂州の上に穴を掘り丸太を敷き、船を建造。
船が完成すると、せき止めた川の水をドックに流し込んで進水させたのです。
船大工の経験があったというウィリアム・アダムスが最初に築いたのは80tほどの帆船で、慶長9年(1604年)に完成。
家康はさらに大型の本格的な帆船の建造を命じます。
アダムスもひょっとして建造した船で故郷のイングランドへと戻れるのではないかと考えたのかもしれませんが、慶長12年(1607年)に120tのガレオン船を完成させています。
この船が後に「サン・ブエナ・ベンツーラ号(San Buena Ventura)」と名づけられメキシコまで航海していますが、ウィリアム・アダムスは帰郷の夢は叶わず、三浦按針という名を与えられ、旗本となって家康とオランダ、イギリスなどとの外交交渉を担うようになったのです。
造船所があったのは、当初は右岸側(上流から見て右岸)とされていたこともあり、按針メモリアルパークは右岸側にありますが、近年の研究で、その地質などから左岸ではなかったのかともいわれています。
按針メモリアルパークに配された帆船のモニュメントや、三浦按針の胸像などの作品は、伊東市大室高原にアトリエを構える彫刻家・重岡賢治の制作。
例年9月下旬にはウィリアム・アダムスの生誕日(1564年9月24日)にあわせ、按針メモリアルパークで『三浦按針生誕祭』も行なわれています。
毎年8月8日〜8月10日には伊東温泉で『按針祭』も開催。
圧巻の海上花火大会は人気を集めています。
按針メモリアルパーク | |
名称 | 按針メモリアルパーク/あんじんめもりあるぱーく |
所在地 | 静岡県伊東市渚町6-16 |
電車・バスで | JR伊東駅から徒歩15分 |
ドライブで | 東名高速道路沼津ICから約48km |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 伊東市観光課 TEL:0557-32-1714 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |