静岡県裾野市にある須山浅間神社(すやませんげんじんじゃ)。
旧社格は郷社ながら世界文化遺産・富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成要素のひとつになっています。
富士山麓の世界遺産に登録された浅間神社では、もっとも静かで厳かな場所です。
宝永山の噴火で登山道も神社も壊滅
社伝によれば、日本武尊の創祀で、欽明天皇13年(552年)、曽我稲目(そがのいなめ=蘇我馬子の父/6世紀)が再興し、天元4年(961年)に平兼盛(たいらのかねもり)が修理奉納した古社。
平兼盛は天元2年(977年)8月17日、駿河守として赴任しているので、可能性としては社殿の寄進という可能性はあるかもしれません。
静岡県神社庁は、「往古富士山東口の社であったが、後に登山道の増設に伴い、南口登山道の冨士浅間の下宮として祭られた」とあります。
つまりは、須山口登山道の開設で鎮座した浅間神社ということになります。
正治2年(1200年)の『末代証拠三ケ所立会証文』に「東口珠山」の名が見えるので、鎌倉時代には登山口・登山道があったと推測できます。
室町時代の僧侶・道興(どうこう)が東国を回ったときの紀行文『廻国雑記』、文明18年(1486年)の項に「すはま口といふ所より冨士のふもとに至りて、雪をかき分て、よそにみし冨士の白雪けふ分ぬ 心のみちを神にまかせて」と記されているのが、最古の記録。
16世紀前半にこの地域を支配した戦国領主の武田氏は、須山浅間神社に太刀・具足・馬を奉納した際の寄進状が残されています。
宝永4年(1707年)の宝永大噴火で、須山口登山道と須山浅間神社は甚大な被害を受けます。
明治時代に登山道は廃道となり、平成に復興
勝田惣次郎とその息子の勝田茂衛門が復興に尽力し、安永9年(1780年)に須山浅間神社~十文字辻~幕岩~銀明水のルートで須山口登山道が復興、神社も再建されています。
寛政12年(1800年)の富士山の御縁年には、須山口から5398人の登山者が登山したことが記録に残されています。
当時、須山には御師(おし=登山の世話をする宿泊施設)が12軒もあったとか。
明治16年に御殿場口登山道が拓かれ須山口2合8勺に連結。明治22年、東海道線の開通(現在の御殿場線/丹那トンネル開通以前の東海道線は御殿場回りでした)により、御殿場口の便利さが増し、須山浅間神社を訪れる道者は次第に減少してゆきます。
明治45年、須山口一帯は陸軍の演習場として撤収され、須山口登山道は廃道となりました。
須山口登山道の復興は、平成9年、須山口下山道は平成11年の完成です。
現在登山道として世界遺産に当録されるのは、
須山口の2合8勺(標高2050m)から山頂にいたる登山道(現・御殿場口登山道)と須山御胎内周辺から幕岩上までの遊歩道です。
須山浅間神社 | |
名称 | 須山浅間神社/すやませんげんじんじゃ |
住所 | 静岡県裾野市須山722 |
ドライブで | 東名高速道路裾野ICから約7.6km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 裾野市商工観光課 TEL:055-995-1825 |
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