正雪紺屋

正雪紺屋

静岡県静岡市清水区由比、東海道・由比宿のなかほど、かつて本陣が建っていた由比本陣公園の向かいにある、江戸時代の兵学者、由井正雪の生家と伝えられている家が、正雪紺屋(しょうせつこうや)。老舗の紺屋(こうや=本藍染の染物屋)を営んでおり、手拭いなど手頃な土産品も販売。

一丁場と呼ばれる昔ながらの仕事場も現存!

正雪紺屋
土間に埋められた藍甕

東海道に面した築200年以上という店の入口には、正雪紺屋と染め抜かれた本藍染めの暖簾がかかり、風情も満点。
建物の裏には慶安の変(由井正雪の乱)で駿府で自刃したと由井正雪の遺品を祀ったという小さな祠(五輪塔)も残されています。

正雪紺屋も、昔のままに土間に埋められた藍甕(あいがめ)や神棚、染物道具、天井に吊られた用心籠(ようじんかご=火事などの緊急時に貴重品を持ち出すための籠)や仕事場が残された貴重な建物で、染物を中心にした小物も販売。
個人の家であるため、見学ができない場合もあるので注意が必要です。

藍甕には、タデ藍の葉を発酵、熟成させた蒅(すくも)に、灰汁(あく)、日本酒などを加えた発酵液が入っていて、茶色く濁っています。
ここに生地を浸けると、酸化して青くなるのです。
正雪紺屋の甕は昔ながらの16個、つまり一丁場(いっちょうば)と呼ばれるものです。
甕が地中に埋まっているのは温度管理のため。

結婚式の引出物などをお願いすることもできるので、興味のある人は連絡を。

由井正雪とは!?

歌舞伎の演目として知られる『樟紀流花見幕張』(くすのきりゅうはなみの まくはり)、実録本『慶安太平記』によれば、由井正雪の父・吉岡治右衛門は、尾張国中村(現在の名古屋市中村区)生まれの百姓で、同郷の豊臣秀吉との縁で大坂天満橋へ移って染物業を営んだということに(出自については諸説あり、後世の脚色も多く、定かでありません)。

関ヶ原の合戦後に東海道由比宿に移って紺屋を開き、その子・由井正雪は、第3代将軍・徳川家光の死の直後、幕府転覆を計画(慶安の変)。
慶安4年(1651年)、駿府(現在の静岡市)の宿屋で自刃し、首塚が静岡市の菩提樹院に残されています。

正雪紺屋
名称 正雪紺屋/しょうせつこうや
所在地 静岡県静岡市清水区由比68
関連HP するが企画観光局公式ホームページ
電車・バスで JR由比駅からタクシーで5分
ドライブで 東名高速道路富士川スマートICから約9.5㎞、清水ICから約12km。または、新東名高速道路新清水ICから約20㎞
駐車場 なし
問い合わせ 正雪紺屋 TEL:054-375-2375
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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