オールコックが登った富士山 「大宮・村山口登山道」(世界遺産)

あまり知られていませんが、江戸時代には超有名な登山道で、参詣地だったというのが富士山大宮・村山口登山道。
富士山世界文化遺産(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)にも「大宮・村山口登山道」として登録されています。

外国人初の富士山登頂はオールコック

この「大宮・村山口登山道」、大宮町(富士山本宮浅間大社)から、村山村(富士宮市村山)を経て山頂に向かうことから大宮・村山口登山道と呼称されてきました。
富士山村山口登山道、あるいは富士山大宮口登山道と呼ばれることもあります。
万延元年7月27日(1860年9月11日)、初代駐日英国公使のラザフォード・オールコック(Sir Rutherford Alcock)が外国人初の富士登山を行なっていますが、その時に使った登山道もこの「大宮・村山口登山道」です。オールコックは、途中村山三坊に宿泊しています(山本秀峰訳 『富士登山と熱海の硫黄温泉訪問/露蘭堂、2010年)。
エドワード・ウィンパー(Edward Whymper)が、マッターホルンに初登頂したのが1861年。当時、ヨーロッパではアルピニズム全盛の時代を迎えていました。
ブームはオールコックの故郷・イギリスにも押し寄せ、ヨーロッパアルプスの主峰39座のうち、19座がイギリス人によって初登頂されているのです。
オールコックの富士登山の希望に対し、江戸幕府は、「慣習的に下層階級の人々だけにかぎられている巡礼に出かけることは、ふさわしいことではない」(『大君の都』山口光朔訳、岩波文庫)とこれを認めません。
富士講という宗教登山が大部分だった富士登山に、異教徒のイギリス人が混じったらという不安も幕府にはあったでしょう。
また、富士山中の火山岩を積んで作った宿泊所(室)の問題も危惧したのかもしれません。
実際にオールコックは、「寒さと巡礼者が残していった土産たち(ノミ)のために熟睡をさまたげられた」と愚痴ってもいるのです。

サー・ラザフォード オールコック富士登山記念碑
表富士新五合目にある「サー・ラザフォード オールコック富士登山記念碑」
 

1860年9月12日、富士山頂に立つ

旅には、オールコックを初めとする英国公使館職員ら8名のイギリス人に加え、幕府から派遣された外国奉行役人や荷物を運ぶ人馬が随行しています。
オールコックの当初の希望とは違っての大名旅行になってしまっています。
オールコック一行は、西暦1860年9月7日に箱根から三島に移動し、三島宿に宿泊。
9月8日は、東海道を西に下って沼津、原を経て吉原宿で1泊。吉原宿には富士山本宮浅間大社から使いがあり、明日は富士山本宮浅間大社に宿泊してくださいとの招待を受けています。
9月9日に雨の中、大宮(現・富士宮中心部)へ移動し、富士山本宮浅間大社に宿泊。
9月10日、村山の法印(山伏)を案内人に村山村まで移動(馬による移動)。村山村の富士山興法寺(現・村山浅間神社)に宿泊。
9月11日、中宮八幡堂(馬返し・この/標高1262m)まで馬上で進み、強力に荷物を預けていよいよ登山開始。
「八幡堂から山頂までの間には9ヶ所の小屋が半マイルごとにあった」
4時間の登山で休息所(粗末な仮宿)に到着し仮眠。6合目(現在の元祖7合目)に宿泊しています。
9月12日、さらに4時間登って山頂の浅間神社奥宮に到着。英国旗を掲げシャンパンで乾杯し登頂を祝いました。その後、「一ノ木戸」(標高2160m付近)まで一気に下山し、1泊しています。

大君の都
オールコックの富士登山

幕末に行なわれた5回の富士登山

オールコックを含め、幕末期には「大宮・村山口登山道」を使って5回の外国人富士登山行なわれています。
慶応2年(1866年)=スイス総領事ブレンワルト(C.Brennwald)らスイス人4人=富士山本宮浅間大社の宝幢院で休憩、村山村の富士山興法寺の大鏡坊に宿泊。
[アメリカは幕府の説得で見送り、イギリスは登山の要望書を出した日にイギリス人が殺害される生麦事件が発生、スイス人の登山隊が2番めとなりました]
慶応2年(1866年)=アメリカ公使ポートマン(A.L.C.Portman)ら8人=ポートマンを含む5名が村山口から頂上を目指し、残り3名は外国人が誰も利用したことのない須山口から登頂。
慶応3年(1867)=オランダ総領事ポルスブルック(D.de G van olsbroek)らオランダ人5人・中国人1人=護衛の銃隊・案内役・旗持ち・押伍(あとおし)など16人。人足23人。馬20頭。大宮で富士山本郡浅間大社の別当・宝幢院(ほうとういん)で休憩。村山村で宿泊後、山頂を目指しましたが登頂の記録は残っていません(積雪などで断念した可能性があります)。
慶応3年(1867)=英国公使パークス(H.S.Parkes)、パークス夫人ら10人=女人禁制の山であるのに女性が含まれていたため、富士山本宮浅間大社が接待を回避し、吉原宿から直接村山村に。外国人女性としては初めての富士山登頂。

幕末に外国人たちも利用した、当時の富士登山のメインルートの一つ、「大宮・村山口登山道」ですが、宝永山の噴火と明治初年の神仏分離、廃仏毀釈で登山者が激減。明治39年に新大宮口(カケスタバ口)が開かれて現在では登山口〜現在富士宮口新6合目の間が廃道化しています。
ちなみに大宮口は大正2年、富士身延鉄道(現JR身延線)が開通するのを見込んで、当時の大宮町(現在の富士宮市)が県の補助金を得て整備したもの。

ご注意/6合目以下の「大宮・村山口登山道」は荒廃しています。世界遺産としての指定範囲も、6合目以上となっています。6合目以下は安易な入山は自己のもととなり、大変危険です。

富士参詣曼荼羅
江戸時代の「大宮・村山口登山道」を狩野元信印『富士参詣曼荼羅』(富士山本宮浅間大社蔵)で解説

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