静岡県田方郡函南町、東海道新幹線の新丹那トンネル、東海道本線の丹那トンネルの静岡県側抗口のある町ですが、東海道新幹線・東海道本線の少し南側にあるのが、新幹線地区。ちゃんと国土地理院の地形図にも掲載される地名で、しかも新幹線公民館が建っています。なぜ、新幹線という地名かを探ります。
新幹線計画が具体化する10年も前に「新幹線」地区が誕生!

昭和7年、大陸に満洲国が成立すると、満洲国、朝鮮半島、中国への旅客、物資輸送が増大します。
それを受けて、東京駅と大陸の玄関口だった下関駅を結んで「弾丸列車計画」が誕生。
南満洲鉄道(満鉄)や朝鮮総督府鉄道(鮮鉄)が軌間1435mmの標準軌だったことから、標準軌での高速鉄道を走らせようと考えたのです。
これには鉄道連絡船による貨客直通はもちろん、将来的には対馬海峡に海底トンネル(日韓トンネル)を掘削、大陸とを結ぶという夢のような計画もあったのです。
現在、東海道新幹線が走る新丹那トンネルは、この弾丸列車計画で掘削が始まった鉄道トンネル。
戦争の激化、戦局の悪化で昭和18年に新丹那トンネルは中断していますが、新丹那トンネル開削のため、作業員宿舎が置かれた場所が、現在の新幹線地区です。
もともとは大正7年3月21日に工事が開始、昭和8年6月19日に完成した東海道本線の丹那トンネル(完成以前の東海道本線は御殿場回りでした)の工事作業員が居住したのが集落形成のはじまり。
昭和16年に弾丸列車走行を想定した新丹那トンネルの工事が始まると、150世帯が暮らす大集落となったのです。
当時の郵便は、田方郡函南村国有鉄道官有無番地で配達されていたとのことで、函南村役場から現地の国鉄側に行政区名を決めるように要請があり、戦後の昭和23年、当時の函南工事区長が「将来に新幹線が通るはずだから」という理由で、新幹線という地名を提案、それが採用されたのです。
現在、函南町は函南町上沢(かみざわ)が行政区名で(電柱にある地区名は上沢)、新幹線はあくまで通称としていますが、国土地理院の2万5000分の1地形図にも新幹線としっかり表記され、函南町新幹線で、郵便物も届きます。
函南町は「住所としては存在しない、あくまで通称名」と解説していますが、もともとは函南村が行政区名として定め、のちに上沢になったものと推測できます。
そのため「住所としては存在しない」はずの新幹線が地形図に記されていることに。
建ち並んだ国鉄官舎も今はなく(「函南町立二葉こども園」なども官舎跡地を保育園に)、公民館名にその名を残すのみですが、自治会、地区名称(「新幹線区」)としては今も歴史ある新幹線を使っています。
東海道新幹線の建設を推進した十河信二が第4代日本国有鉄道総裁に就任したのが昭和30年、実質的に新幹線計画がスタートしたのは昭和32年、新幹線建設基準委員会を設置が昭和33年のこと。
東海道新幹線・新丹那トンネル熱海口で起工式が行なわれたのが、昭和34年4月20日。
つまりはそれよりも10年以上前の昭和23年に、新幹線という地名が生まれているので、新幹線発祥の地ともいえるかもしれません。

静岡県函南町に「新幹線」という不思議な地名が! | |
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