美女づくりの湯

美女づくりの湯

静岡県榛原郡川根本町、夢のつり橋など、寸又峡(すまたきょう)の散策後に立ち寄りたい、町営の露天風呂が、美女づくりの湯。温泉街の少し高台にある露天風呂は、湯船が男女別に各1ヶ所。湯船は屋根付の風情ある岩造りで、深い山々を眺めながらの入浴が楽しむことができます。

pH8.9のアルカリ泉で、肌がスベスベに

南アルプスの麓から掘削自噴する寸又峡温泉(2号泉・3号泉を4km先から引湯/源泉温度43度)の成分は、単純硫黄泉。
昭和37年の源泉湧出以来、温泉地として繁栄してきましたが、公共浴場はここ1ヶ所(源泉かけ流しではなく、一部放流循環併用型)。
「アルカリ性なので石鹸は使用しないでください」とのことで、pH8.9のアルカリ泉で、肌がスベスベに。

つるつるすべすべの肌を作ることから、「美女づくりの湯」といわれるゆえん。
美容のほか、神経痛やリュウマチ、胃腸病などが適応症になっています。

シャワーと露天風呂しかない素朴な温泉施設ですが、券売機でタオルも販売しているので、手ぶらでの立ち寄りも可能。

寸又峡温泉誕生のきっかけは、郵便局長・望月恒一さんの熱意

寸又峡には、明治時代(当時、一帯は皇室の御料林)に湯山温泉という共同湯がありましたが、湯山発電所(昭和10年完成の千頭ダムの発電施設)の建設で昭和9年に枯渇。
昭和29年、湯山温泉を復活、過疎化防止を願った大間集落の郵便局長・望月恒一さんが大井川鉄道の支援などを受け温泉の掘削を開始し、3年がかりで昭和32年の暮れに掘り当てたのが寸又峡温泉誕生のきっかけです。

温泉の権利は望月恒一さんから川根本町に譲渡され、公共の温泉施設が誕生、さらに昭和36年には、最初の掘削地の対岸に、現在も使われる2号泉を開削し、昭和37年、4kmほど離れた大間集落へと引湯し、3軒の温泉旅館が開業、こうして寸又峡温泉が生まれたのです。

そして、当時の川根町長・鈴木治平の熱意で、どんちゃん騒ぎをしない、広告をつけない、芸者を呼ばないなどの三原則を決定。
昭和43年の金嬉老事件(きんきろうじけん・きむひろじけん/「ふじみや旅館」での籠城事件)でその名も一躍全国区に。

望月恒一さんは、料理自慢の「翠紅苑」(すいこうえん)の初代オーナー、宿泊すれば秘境の湯を存分に満喫できます(日帰り入浴も可能/混雑時などは不可の場合もあるので事前に確認を)。

美女づくりの湯
名称 美女づくりの湯/びじょづくりのゆ
所在地 静岡県榛原郡川根本町千頭269-2
関連HP 川根本町公式ホームページ
電車・バスで 大井川鐵道奥泉駅から大鉄バス寸又峡温泉行きで40分、終点下車、徒歩3分
ドライブで 新東名高速道路静岡スマートICから約45㎞
駐車場 寸又峡第3駐車場を利用
問い合わせ 美女づくりの湯 TEL:0547-59-3985
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。

美女づくりの湯

よく読まれている記事

ABOUTこの記事をかいた人

アバター画像

日本全国を駆け巡るプレスマンユニオン編集部。I did it,and you can tooを合い言葉に、皆さんの代表として取材。ユーザー代表の気持ちと、記者目線での取材成果を、記事中にたっぷりと活かしています。取材先でプレスマンユニオン取材班を見かけたら、ぜひ声をかけてください!