駿府城(駿府城公園)
静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四…
静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四…
熱海の海岸沿いにある熱海サンビーチ横、お宮緑地に設置された像。2代目「お宮の松」とともに熱海の観光名所の一つ。尾崎紅葉が読売新聞に明治30年1月1日〜明治35年5月11日まで連載した長編小説『金色夜叉』で、主人公・間貫一…
熱海サンビーチを背にし、ホテルの建ち並ぶ国道135号沿いに植えられている、お宮の松。横には尾崎紅葉作の未完の人気新聞小説『金色夜叉』(明治30年〜明治35年に読売新聞に連載)の有名な一場面、主人公の貫一がお宮を蹴っている…
秋葉総本殿可睡斎(あきばそうほんでんかすいさい)は、袋井市郊外にあり、室町初期に開かれた曹洞宗の巨刹。その昔、徳川家康に招かれた11代住職の等膳和尚が、家康の目の前でいねむりを始め、家康が「和尚睡(ねむ)る可(べ)し」と…
1670(寛文10)年、身延山第21世の日遠上人の弟子である日近(にちごん)上人が開いた、日蓮宗の名刹。須弥山(しゅみせん)式といわれる日本最古の造園法で造られた庭園「観富園」は、池を駿河湾に、本堂の屋根を富士山に見立て…
登呂遺跡の一角にある、遺跡博物館。平成28年8月17日に国の重要文化財となった登呂遺跡の出土遺物775点など、出土史料を中心に縄文時代から弥生時代、近代に至るまでの農業や生活の様子を伝える資料を展示しています。1階の「弥…
静岡市街の南に位置する弥生時代の集落・水田遺跡。昭和18年、登呂地区の水田に軍需工場(プロペラ工場)が建設されたが工事の途中に丸木舟など多くの木製品が出土。国の特別史跡に指定されている他、平成28年8月17日に登呂遺跡出…
静岡市内の有度山(うどさん)山頂付近に広がる自然公園。安倍川の扇状地が隆起して高台となった、ドーム状の丘陵に残る平坦地で、名前の由来は、日本的な眺望の美しさと、日本武尊(やまとたけるのみこと)伝説から来ているといわれてい…
駿河湾と遠州灘を二分する御前崎(おまえざき)の先端の高台に建つのが御前埼灯台。黒潮と駿河湾の潮流が、激しくぶつかり合う沖合いは昔から海の難所として恐れられてきました。1635(寛永12)年に見尾火灯明台(みおびとうみょう…
御前崎から天竜川の河口にかけて、遠州灘沿いの海岸線に続く広大な砂丘地帯が「南遠大砂丘」(なんえんだいさきゅう)。河口を利用した漁港以外に港湾施設はなく、約30kmもの砂丘がただただ続く、日本一の砂丘地帯です。鳥取、吹上(…
浜松市街のすぐ南、市街地に隣接して広がる中田島(なかたじま)砂丘。日本三大砂丘のひとつにも数えられ、全長4km、幅は500m。大量の砂は、愛知県の渥美半島の海食崖が、波で削られて運ばれてきたもので、海岸線に沿って砂漠のよ…
音無神社は、伊東市街の中央を流れる音無川(松川)の東岸に鎮座する古社。音無の森と呼ばれる鎮守の森に囲まれた厳かな神社ですが、毎年11月10日に「天下の奇祭」といわれる『尻つみ祭り』が斎行されます。またこの音無の森は『曽我…
時代劇を見ると、牧之原台地の茶畑から富士を仰ぐシーンがあります。まさに茶の産地・静岡を象徴するシーンですが、実は牧之原台地に茶畑が造られたのは明治以降なんだとか。家康も愛飲した美味しい静岡茶を飲む前に、まずは「静岡茶のル…
磐田市の掛塚(かけつか)地区はかつて大坂と江戸を結ぶ廻船の中継地、天竜川の舟運の荷降ろしの湊として繁栄しました。繁栄を今に伝える「掛塚湊の碑」が磐田市駒場の海洋公園に立てられています。また貴船神社境内に掛塚港廻船之碑(大…
静岡県浜松市北区都田町に鎮座する古社。延長5年(927年)編纂の『延喜式神名帳』記載の遠江国引佐郡六座のうちの一つ。神宮(伊勢神宮)の御厨(みくりや=荘園)の鎮守社で、本殿は今も内宮、外宮(げぐう)に分かれています。
平安時代(927年)編纂の『延喜式神名帳』に「遠江国六十二座、敷智郡六座の一座」との記載がある浜名湖屈指の古社。祭神は蚶貝比賣命(きさがいひめのみこと)、蛤貝比賣命(うむぎひめのみこと)と全国的にも珍しい浜名湖らしい貝の…