静岡県伊豆市の湯ヶ島温泉にあるレトロな温泉宿が「湯本館」。「川端の宿 湯本館」と称していますが、狩野川の端に建ってはいますが、もちろん川端康成のこと。川端康成は19歳だった一高時代の大正7年に、湯ヶ島で旅芸人一行(踊子たち)と出会い、大正11年に湯本館で『伊豆の踊子』を執筆しています。
川端康成が逗留した部屋は当時のままに現存!

若き時代、川端康成の定宿だったのが、この湯本館。
「『伊豆の踊子』は大正11年、私が22歳の7月、伊豆湯ヶ島温泉の湯本館で書いた、『湯ヶ島の思い出』という107枚の草稿から、踊り子の思い出の部分だけを大正15年、26歳の時に書き直したものである」(岩波文庫『伊豆の踊子・温泉宿』あとがき)というわけなのです。
川端康成によれば、踊子に遭遇した翌年、神経痛を患い、湯本館で療養。
「それから昭和2年まで10年の間、私は湯ヶ島にいかない年はなく、大正13年に大学を出てからの3、4年は湯本館での滞在が、半年あるいは1年以上に長びいた」(岩波文庫『伊豆の踊子・温泉宿』あとがき)というので、いかに湯本館とその温泉が気に入っていたのかがよくわかります。
「『文藝時代』のころは、私は東京に定まった家も宿もなくて、湯本館で暮らす方が多かった」というくらいなのです。
関東大震災後で、東京が住みづらいということもあったのかもしれませんが、それ以上に湯本館を気に入っていたようで、川端康成自身も「理想郷のやうに言つて」知人に宣伝したため、多くの文人が湯本館や湯ヶ島に集まり、文学サロンのような状況になったのです。
川端康成が湯本館に逗留した部屋は、そのままに現存(TOPの画像)。
ロビーの壁はギャラリーとなっていてさながら文学館のようです。
単行本となった『伊豆の踊子』は昭和2年3月20日に金星堂から出版されていますが、その装丁を担当した吉田謙吉(よしだけんきち)は、湯本館に逗留する川端康成を訪ね、湯本館の一室「山桜」の欄間の図柄をスケッチして、装丁に活かしています。
実は、現在の浴衣のデザインは、「山桜」の欄間の図柄です。
風流な狩野川沿いの露天風呂、鮎や駿河湾の魚、冬場の猪など伊豆の食材を活かした料理などと、古き良き佇まいの風情が堪能でき、文学好きでなくても、一度は泊まりたい宿のひとつ。
ただし、家庭的な宿なので、それに合わせる配慮で、宿泊を。

川端康成が『伊豆の踊子』を執筆した定宿! 湯ヶ島温泉・湯本館 | |
所在地 | 静岡県伊豆市湯ケ島 1656-1 |
場所 | 湯本館 |
関連HP | 湯本館公式ホームページ |
電車・バスで | 伊豆箱根鉄道修善寺駅から東海バス河津駅行きで29分、湯ヶ島温泉口下車、徒歩8分 |
ドライブで | 東名高速道路沼津ICから約40km |
駐車場 | 12台/無料 |
問い合わせ | 湯本館 TEL:0558-85-1028 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |