徳川家康は生涯のうち、3回駿府城に天守を建てています。
最初に駿府に来たときは、天文16年(1547年)、今川氏全盛期である9代・今川義元の時代。家康も松平竹千代という幼名を名乗っています。
人質として6歳から19歳までの12年間を駿府で過ごしています。
しかし、この時は人質。
城主として入城したのは武田氏滅亡の直後のことです。
(1)天正期の駿府城天守
徳川家康が最初に天守を建てたのは、天正10年(1582年)。
実際にどんな天守だったのかは定かでありません。
甲斐国(山梨県)天目山で武田勝頼が自刃し、武田家が滅びると駿河国は家康の領地になります。
天正14年(1586年)9月11日、家康は駿府に「天正期の駿府城」を築城し、所領となった三河・遠江・駿河・甲斐・信濃5ヶ国の拠点としています。
天正17年(1589年)3月12日、駿河国は豊臣秀吉(関白)の領国となり、中村式部少輔一氏が駿府城主となって着任。
天正18年(1590年)、秀吉の小田原攻めの勝利で、家康は関東に移封。伊豆・相模・武蔵・下野(しもつけ)・上野(こうづけ)・上総(かずさ)・下総(しもうさ)を領有の大大名に。
⇒完成間近の駿府城に入城せず、太田道灌が築城した江戸城の修築に取りかかります。
慶長6年(1601年)、関ヶ原の合戦で勝利した家康は、駿府城主を信頼する内藤信成(韮山城主/松平広忠の庶子で徳川家康の異母弟との説も)に代えます。
(2)慶長12年完成の駿府城天守
慶長12年に家康の隠居に伴って近世的な天守を建築したと推測できますが、竣工から半年もたたないうちに焼失してしまい、その全貌は明らかになっていません。
慶長11年(1606年)、家康の駿府隠居に伴い、駿府城主・内藤信成は近江国(滋賀県)長浜城主に。
慶長12年(1607年)7月3日、駿府城完成。
⇒安倍川と藁科川を合流させ、駿府の町を近世的な町に変革。駿府城下を町割り。士農工商を徹底させ、城下に農民が居住しない「士庶別居住区域の原則」を貫く近世的な町割りを実施。
慶長12年(1607年)12月22日、大奥の局の物置で使用していた手燭から出火した火事が原因で天守を焼失。家康は竹腰小伝次邸、本多上野介邸に移動。
(3)慶長13年完成の駿府城天守
慶長13年(1608年)、江戸城で使用予定の木材を駿府に運び、突貫工事で駿府城天守や主要な櫓を再建。火事から身を守る「鉛御殿」(瓦を鉛で葺く)を建築。
寛永12年(1635年)11月、城下・茶町からの出火の火災が原因で天守焼失。
⇒以降天守は再建されていません。
駿府城天守台はどこにあった!?
駿府城公園の中心、「家康公の銅像」の一帯は、天守・本丸御殿・紅葉山庭園(現在の紅葉山庭園は、駿府城本丸御殿に在った紅葉山庭園の名を踏襲したもので、名前だけ引き継いで場所は二の丸跡に築かれています)などがあった本丸跡。
駿府城の天守台は、周囲には石垣の土手を設け、天守閣をほぼ中央に建てる天守丸構造。
『駿府城御本丸御天主台之図』(静岡県立図書館所蔵)によれば、天守台の大きさは南北54m〜56m、東西47m。4.5mの高さで石垣が囲み、19m離れて本丸堀が取り囲んでいました。
これを現在の駿府城公園に当てはめると天守台は駿府城公園内のヘリポートのほぼ南側に位置していたことが推定されます。
五層七階の壮観な天守閣で、外見では5階建てですが、内部は7階建てになっていました。
駿府城下からは富士山と並んでその勇姿を見せていたのです。
「余りに天守閣が光り輝くので駿河湾の魚が怯えて漁師が困った」という伝承は、ちょっとオーバーでしょうが・・・。
残念ながら現在では天守台も、本丸堀も復元された一部を残して更地になって往時の姿を留めていません。
明治29年に静岡連隊を誘致するにあたって解体され埋められたのです。
TOPの画像の駿府城の天守の復元模型(内藤昌案)は、東御門の内部に展示されています。
再建時の大工棟梁(大棟梁)は、増上寺、名古屋城、二条城、内裏、日光東照宮、久能山東照宮、方広寺などの建築も担当した中井正清。
城として現存しているのは、二条城。つまり、本丸御殿や庭園は現存する二条城の御殿、庭園をイメージすれば比較的に近いものなのかもしれません。
元静岡市駿府城天守閣等関連史料主席調査員の黒澤脩氏は、
「駿府城の天守指図が現存していなくても、二条城・江戸城・名古屋城の指図から駿府城天守の建築様式、つまり姿・形を読みとることができます。『日光東照宮絵巻』と和歌山東照宮の『東照大権現縁起絵巻』に描かれた駿府城天守の共通した絵柄をこれら指図と相互に応用すれば、より正確な駿府城天守の姿が可能となります」
と語り(講演会『駿府城天守再建は可能である』/主催:西奈図書館友の会“けやき)、これまで「指図がないから再建は不可能」とされてきたことを打ち消して、天守再建への希望を示しています。
『当代記』 此殿守模様之事に記された天守
元段 十間 十二間 但し七尺間 四方落 椽あり
二之段 同十間 十二間 同間 四方有 欄干
三之段 腰屋根瓦 同十間 十二間 同間
四之段 八間十間 同間 腰屋根 破風 鬼板 何も白鑞
懸魚銀 ひれ同 さかわ同銀 釘隠同
五之段 六間八間 腰屋根 唐破風 鬼板何も白鑞
懸魚 鰭 さか輪釘隠何も銀
六之段 五間六間 屋根 破風 鬼板白鑞
懸魚 ひれ さか輪釘隠銀
物見之段 天井組入 屋根銅を以葺之 軒瓦滅金
破風銅 懸魚銀 ひれ銀 筋黄金 破風之さか輪銀 釘隠銀
鴟吻黄金 熨斗板 逆輪同黄金 鬼板拾黄金
駿府城公園DATA
施設名 | 駿府城公園/すんぷじょうこうえん |
住所 | 静岡市葵区駿府城公園1-1 |
関連HP | 駿府城公園公式ホームページ |
電車・バスで | JR静岡駅から駿府浪漫バスで15分、東御門下車 |
ドライブで | 東名高速道路静岡ICから約5km。または、新東名高速道路新静岡ICから約9km |
駐車場 | 市民文化会館地下駐車場(246台/有料)を利用 |
問い合わせ | 駿府城公園二ノ丸施設管理事務所 TEL:054-251-0016/FAX:054-251-0056 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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