国分寺と国分尼寺といえば奈良時代、聖武天皇で諸国に建立を命じた寺。
天平年間(729年〜749年)は災害や疫病(天然痘)が多発したため、聖武天皇は仏教に深く帰依。
天平13年(741年)には国分寺建立の詔を出したのです。
そのひとつが、遠江国(とおとうみのくに=遠州/静岡県西部)の国分寺。
現在の静岡県磐田市街の中心地に建っていました。
静岡県内にたった2ヶ所の「国の特別史跡」
JR磐田駅の北口から「ジュビロ通り」と称している通りの正式名が、天平通り。
まっすぐ歩くと、15分ほどで遠江国分寺跡に到達します。
さらに数分で、遠江国分尼寺跡。というわけで、この駅前通りには天平通りという名が付いているのです。
国分寺というのは実は通称で、金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)が正式名。
長ったらしくて、ややこしい名前なので、国分寺と通称されています。
国分寺の多くは国の中心たる国府区域内、もしくはその周辺に築かれ、国庁(現在の県庁にあたる中央政庁)とともにその国の最大の建築物でした。
大和国の東大寺が全国の総国分寺として機能したのです。
あまり知られていませんが、実はこの時代、仏教は国教。寺に勤める僧侶は、国家公務員でした。
全国の国分寺には20名の僧侶が配され、国家鎮護を祈ったのです。
伊賀国(現・三重県)から常陸国(現・茨城県)に至る東海道沿線の諸国にも国分寺は建立されましたが、現在、東海道で「国の特別史跡」となっているのは、常陸国分寺跡(茨城県石岡市府中)と、遠江国分寺跡の2ヶ所だけ。
国の特別史跡になっているのは、全国的に見ても讃岐国分寺を加えてのたった3ヶ所だけなのです。
ちなみに静岡県内で国の特別史跡になっているのは、この遠江国分寺跡と新居関跡の2ヶ所だけ!
いかに「特別に貴重な史跡」であるかがわかっていただけるでしょう。
国分寺の跡は史跡公園に
実際に、遠江国分寺跡を目にすると、正直なところ「これが特別史跡!?」とちょっとがっかりするでしょう。
ところが、地元の教育委員会に話を聞けば、「昭和26年に発掘調査がされ、七重塔跡をはじめ主要な伽藍が確認されています」。
つまり、天平時代の遺跡で、金堂を中心に七重塔、講堂、中門、回廊などの伽藍配置が明確に確認できるのは希少な例なのです。
しかも遠江国分寺跡の場合は、市街化が進む磐田市の中心部。
古代史の研究者にしてみれば、まさに「奇跡的に残った」という感じなのでしょう。
「遠江国分寺は金堂を中心に、北側に講堂が、南側に中門が配置され、金堂と中門には回廊が巡っていました。七重塔の跡には礎石が残っているのでぜひお見逃しなく」(磐田市教育委員会)とのこと。
伽藍は東西180m、南北250mという巨大なもので、現在は公園化して保護されています。
遠江国分寺の瓦は、静岡県掛川市山崎の竜天薬師堂古窯(りゅうでんやくしどうこよう)で焼かれたことも判明しています。竜田神社境内と隣接する茶畑がその窯跡です。
奈良時代には大之浦という入江に臨んだ台地上に遠江国の国府、国分寺、国分尼寺が建立され、窯場からは舟で瓦を運びました。
では、遠江の国府はどこにある!?
さてさて、遠江国分寺とペアの存在だった遠江国分尼寺はどこにあるのでしょう。
こちらも発掘調査が行なわれ、行泉寺(磐田市見付本町3080-2)北側で講堂跡などが発掘されています。
国庁跡は、遠江国分寺跡の北側、磐田北小学校(磐田市見付2352)から大見寺あたりとか、磐田駅南側の御殿・二之宮遺跡(磐田市中泉2270-17ほか)といわれていますが定かでありません。
御殿・二之宮遺跡からは奈良時代の土器・石器・木製品などが大量に出土し、古代の大規模な建物跡が発掘されています。
遠江国総社は、見附学校隣の淡海国玉神社(磐田市馬場町)、国府八幡宮は府八幡宮(静岡県磐田市中泉112-1)と判明しています。
ちなみに、遠江国は琵琶湖の近つ淡海(近江=おうみ/都から近い湖)に対して、浜名湖の遠つ淡海(遠江=とおとうみ/都から遠い湖)が国名の由来となっています。
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