静岡県浜松市北区細江町気賀、慶長6年(1601年)、徳川家康によって浜名湖の北岸、気賀に設けられた関所が気賀関所。当時の東海道は、新居関所(今切関所/現・湖西市)の女性に対する詮議の厳しさから、大名の奥方などに敬遠され、脇街道の東海道本坂越(別名・姫街道)がよく利用されていました。
東海道本坂越(別名・姫街道)の関所を復元
この東海道本坂越(本坂通り)の通行人を取り締まるために設置されたのが気賀関所で、浜松城主だったことのある徳川家康は、気賀の重要性を大いに認識していたのです。
五街道の制定後には、「入鉄砲に出女」と、江戸に入る鉄砲などの武器類、そして江戸から西に向かう婦人の通行を厳しく調べていますが、脇往還とはいえ気賀の関所も同様でした。
往時の建物は昭和35年頃に失われ、現在のものは復元したもの。
本番所や牢屋のある向番所、遠見番所などが忠実に復元され、当時の様子がよくわかります。
東海道本坂越(姫街道)は、見付宿で東海道と別れて市野宿(浜松市東区市野町)に入り、気賀を通って三ケ日に出て、本坂峠(遠州・三州の国境)を越えて嵩山(すせ)を通り、豊川を渡って御油(ごゆ)宿で東海道に合流していました(後に吉田宿、現在の豊橋に出るルートも)。
途中にある正式な宿場は、関所の置かれた気賀と、三ケ日の2ヶ所です。
宝永4年(1707年)の宝永大地震(日本有史最大級の巨大地震)は大津波を伴い、新居関所が流出するなど浜名湖の湖口一帯は大打撃を受け、それ以降は姫街道の利用が急増しています(地震前から高潮の影響で渡船の航路が伸び、姫街道の利用は増加していました)。
宝永7年(1710年)には幕府から、風雨などで東海道がつかえない時以外は、大名の本坂越通行が禁止されるほどの賑わいだったのです。
気賀関所 | |
名称 | 気賀関所/きがせきしょ |
所在地 | 静岡県浜松市北区細江町4577 |
関連HP | 気賀関所公式ホームページ |
電車・バスで | 天竜浜名湖鉄道気賀駅から徒歩3分 |
ドライブで | 東名高速道路舘山寺スマートICから約5.5km |
駐車場 | 100台/無料 |
問い合わせ | 気賀関所 TEL:053-523-2855/FAX:053-523-2855 |
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