久能山東照宮・神廟(家康墓所)
元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没した徳川家康は、その遺言によってその夜のうちに久能山に遺体が移され、葬られています。一周忌を経て江戸城の真北に在る日光の東照社にも祀られていますが、久能山東照宮には実際…
元和2年4月17日(1616年6月1日)に駿府城で没した徳川家康は、その遺言によってその夜のうちに久能山に遺体が移され、葬られています。一周忌を経て江戸城の真北に在る日光の東照社にも祀られていますが、久能山東照宮には実際…
日本平からロープウェイで5分の久能山駅から徒歩1分の久能山山頂に鎮座するのが久能山東照宮。1616(元和2)年4月17日、75歳の徳川家康が駿府城で没した際、その遺言により、山上にあった久能城を廃城にし、2代将軍・秀忠の…
正面に富士山、眼下には駿河湾と市街を一望する景勝地、標高308mの日本平と、標高165mの久能山(くのうざん)山頂を、55人乗りのゴンドラが5分で結ぶのが日本平ロープウェイ。伊豆の山並みや御前崎までも一望する、快適な空中…
上洛を狙う武田信玄に対して、織田信長と同盟を結び、遠州へと進出した徳川家康が激突した三方ヶ原の戦い。この戦で徳川家康は大敗を喫して、命からがら浜松城へと逃げ帰りますが、撤退する徳川軍の中で、最後尾となる殿(しんがり)を買…
浜松市街の犀ヶ崖公園(さいががけこうえん)の北、国道257号(姫街道)沿いの地に立つ石碑が夏目次郎左衛門吉信(夏目吉信)の碑。犀ヶ崖古戦場の一角に位置するこの地は、夏目次郎左衛門吉信が「我こそは家康なり」と影武者に徹して…
明治19年、引間城跡に旧幕臣・井上延陵(井上八郎)が創建したのが元城町東照宮(浜松東照宮)。徳川家康立身出世の地に家康を祀る東照宮がないのはどうしたことかと考えた井上延陵は、引間城跡に東照宮を建立。境内には徳川家康は31…
引間城(曳馬城・引馬城=現在の浜松東照宮の地にあった中世の城)の女城主・お田鶴の方(亀姫君)は、三河を統一した松平家康(徳川家康)に攻め落とされますが、最後まで城を死守した女丈夫に感動した家康は、お田鶴の方(おたづのかた…
徳川家康の第3子で、徳川第2代将軍(在職1605年~1623年)となった徳川秀忠(幼名・長丸)の産湯の井戸が浜松市街にある徳川秀忠公誕生の井戸。現在は遠州鉄道遠州病院駅前の交番裏手にありますが、本来の場所は50mほど西。…
元亀3年12月22日(西暦1573年1月25日)、徳川家康は三方ヶ原の戦いから命からがら浜松城へと逃げ帰ります。城内にあった松の木陰で休み、鎧を脱いで松に掛けたことから鎧掛け松と呼ばれています。
三方ヶ原(みかたがはら)は、浜松にある台地。上洛を目ざす武田信玄軍2万7000と阻止しようとする徳川家康軍1万1000(うち信長軍3000)が浜松にある三方ヶ原台地で激突したのが1572(元亀3)年の三方ヶ原の戦い。徳川…
三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
沼津港「港八十三番地」内にある深海をテーマにした水族館が、沼津港深海水族館 シーラカンス・ミュージアム。その名の通り、世界で唯一シーラカンスの冷凍標本が展示されています。水深200mを超える海域が深海ですが、なんと駿河湾…
710(和銅3)年創建という熱海の古社が来宮神社(來宮神社・きのみやじんじゃ)。その境内にある大楠は、幹周り23.90mで、日本第2位の巨樹。国の天然記念物としての名称は「阿豆佐和気神社の大クス」(あずさわけじんじゃのお…
静岡県富士宮市猪之頭、田貫湖畔から北へ続く、東海自然歩道富士宮コース沿いの五斗目木川(ごとめきがわ/芝川支流)の源流に位置する湧水の滝。1193(建久4)年、源頼朝の富士の巻狩りの際、滝の近くに一夜の陣を敷いたのが滝名の…
富士宮市にある古社で、世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産のひとつ。「富士本宮浅間社記」には、浅間大社は山宮の地から遷座したとあり、ここが富士山信仰のルーツと考えられています(浅間大社も含め、全…
富士宮市の村山地区は、富士山における修験道の中心地。そこに鎮座する村山浅間神社は世界遺産富士山(「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」)の構成資産の一つ。富士山の火山活動が沈静化した平安時代の末期、富士山頂に大日堂を建立した…
昔ここに住んでいた田貫長者の庭池だったと伝えられる池。関東大震災後、芝川の水量が減少し、農業用水確保のために昭和10年から沼地に堤防を建設。現在は、水深8m、周囲4.5kmの潅漑用貯水池になっています。逆さ富士で有名で、…