三方ヶ原の合戦で大敗した徳川軍が、浜松城に逃げ帰ったその夜、一矢報いようと武田軍に夜襲をかけたのが犀ヶ崖の戦い。犀ヶ崖資料館はもともと三方ヶ原合戦での徳川軍2000人、武田軍200人という戦死者を祀った宗円堂が前身。三方ヶ原の戦いとその戦没者の霊を鎮めるために始められたという遠州大念仏を解説するミュージアムです。
郷土芸能・遠州大念仏を解説するミュージアム
三方原(みかたはら=三方ヶ原)は、浜松にある台地。
上洛を目指す武田信玄軍の2万7000と、家康軍1万1000(うち信長軍3000)が激突したのが三方ヶ原の戦い。
家康は歴史的大敗を喫し、浜松城へと敗走途中、恐怖のため家康は馬上で脱糞したとも伝えられています。
その家康が一矢報いようと武田軍を夜襲したというのが犀ヶ崖の戦い。
混乱した武田軍は犀ヶ崖から転落したともいわれますが、実は徳川方の史料しかなく定かでありません。
遠州大念仏は、三方ヶ原合戦で敗れ、辛くも浜松城に逃げ帰った家康が起死回生の逆襲として考案した「犀ヶ崖の奇襲」で、断崖から落とされた武田軍の亡霊が出る、流行病が蔓延するなど祟りがあったので、家康が貞誉了傳に怨霊済度災厄消滅の修法を懇請したのが始まりという(遠州大念仏の起源については種々の説があって定かではありません)。
現在も犀ヶ崖では毎年7月15日に合戦の戦死者を弔う遠州大念仏が行なわれています。
遠州大念仏
遠州大念仏は、遠州地方の郷土芸能のひとつで、初盆を迎えた家から依頼されると、その家を訪れて庭先で大念仏を演じます。
大念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先(かしらさき)の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦(かね)の音に合わせて行進。
江戸時代のもっとも盛んな時には、約280の村々で大念仏が行なわれていました。
現在、約70の組が遠州大念仏保存会に所属し活動しています。
大念仏の団体は、必ずその家の手前で隊列を組み、統率責任者の頭先(かしらさき)の提灯を先頭にして、笛・太鼓・鉦(かね)の音に合わせて行進。
江戸時代のもっとも盛んな時には、約280の村々で大念仏が行なわれていました。
現在、約70の組が遠州大念仏保存会に所属し活動しています。
犀ヶ崖資料館 | |
名称 | 犀ヶ崖資料館/さいががけしりょうかん Saigagake Museum |
所在地 | 静岡県浜松市中区鹿谷町25-10 |
関連HP | 浜松市公式ホームページ |
電車・バスで | JR浜松駅バスターミナルから遠鉄バスで9分、さいが崖下車、徒歩すぐ。または、遠州鉄道鉄道線遠州病院駅から徒歩25分 |
ドライブで | 東名高速道路三方原スマートICから約6.5km。浜松西ICから約7.7km |
駐車場 | 10台/無料 |
問い合わせ | 犀ヶ崖資料館 TEL:053-472-8383/FAX:053-472-8383 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |