伊豆の長八美術館

伊豆の長八美術館

静岡県賀茂郡松崎町、松崎町の中心部を走る国道139号沿いに建つのが、伊豆の長八美術館。江戸時代、松崎に生まれた入江長八(いりえちょうはち)は、鏝(こて)を使った左官の技術を「漆喰芸術」といわせるほどに高めた人物。館内にはその長八の作品約60点が展示され、必見の価値があります。

単なる壁塗りを超え、三次元的な漆喰芸術を創案

伊豆の長八美術館

入江長八が生み出したのは、平らに塗った漆喰壁画に、 さらに漆喰を薄く盛り上げて図案を施し彩色した漆喰鏝絵、そして、 漆喰を使って彫像をつくる漆喰彫刻という新しいジャンルの芸術作品で、長八は漆(うるし)や膠(にかわ)を用いることで脱色を防ぎ、自由な彩色が可能となったのです。
明治22年、77歳で没するまで、江戸・東京と伊豆を中心に多くの作品を残しました(江戸では妓楼のあった品川などで多くの作品を残し、女中おはなを後妻に迎えています)。

東京にある作品に関しては関東大震災などで焼失したものが多く(品川区の寄木神社などに作品が現存)、故郷・松崎はまさに長八の作品集のような町になっているのです。

伊豆の長八美術館

芸術家・入江長八の立体的な作品を鑑賞

伊豆の長八美術館

代表作である『龍』、『春暁の図』といった絵画のような作品は、いずれも鏝を巧みに使い、彩色を施したもの。
狩野派の絵画を学んだという、入江長八ならではの作品です。
ルーペで細部を観察できるのも美術館ならでは。

建物自体も現代の左官の技術を駆使しており「江戸と21世紀を融合させた建物」といわれていて、こちらも趣深いものがあります。

入江長八は、文化12年(1815年)、伊豆国松崎村明地に生まれ、6歳で菩提寺の浄感寺塾に学び、12歳の時に左官棟梁・関仁助に弟子入り。
19歳の時、江戸に出て絵と彫刻を狩野派の喜多武清(きたぶせい=花鳥図・山水図を得意とする南画家)に学んで、基礎を習得しています。

日本橋茅場町の不動堂再建の際に昇り竜、下り竜という一対の龍を造り上げて一躍名人として名声を博し、31歳の時に弟子2人を連れて生まれ故郷の浄感寺(伊豆の長八美術館の向かい側、国道沿い)の再建に係わり、鏝絵の傑作『八方にらみの竜』を描いています。

明治13年には岩科町役場や岩科学校などで制作活動を行ない、近代にもその作品を残しています。
旧岩科学校2階和室の「鶴の間」にある『千羽鶴図』は、漆喰鏝絵の代表作のひとつです。

伊豆の長八美術館
伊豆の長八美術館
名称 伊豆の長八美術館/いずのちょうはちびじゅつかん
所在地 静岡県賀茂郡松崎町松崎23
関連HP 松崎町観光協会公式ホームページ
電車・バスで 伊豆急行線蓮台寺駅から東海バス堂ヶ島方面行きで40分、松崎下車、徒歩15分
ドライブで 東名高速道路沼津ICから約80km
駐車場 50台/無料
問い合わせ 伊豆の長八美術館 TEL:0558-42-2540
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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