江戸・日本橋と京・三条大橋を結んだ東海道。里程124里8丁、487.8kmのなかで、京を目指しての上洛の際には、常に右手に富士山を眺めることになりますが、海道で唯一、左手に富士山を見る場所がありました。江戸時代から珍しいとされていたため浮世絵などにも描かれています。それが「吉原左富士」と称された場所。
津波被害による東海道の移設で誕生

元吉原から吉原(新吉原)へと続く、田んぼの中、松並木の道。
ここが「吉原左富士」と呼ばれ親しまれた名所で、歌川広重も『東海道五拾三次』で吉原「左富士」を描いています。
東海道は、もともと海岸沿い、現在のJR吉原駅付近を通っていましたが天文年間(1532年〜1555年)、津波や漂砂のため内陸側へ場所を移し、元吉原宿に移しましたが、再び津波に襲われて、寛永16年(1639年)に中吉原宿に、さらに延宝8年(1680年)高潮被害で宿場が壊滅、新吉原宿が築かれたため、大きくカーブする東海道が生まれたのです。
つまりは度重なる津波被害が生んだ珍しい「左富士」ということに。
往時は歌川広重の絵にあるような松並木でしたが、現在は1本の松の木が残るのみとなっています。
その場所が、静岡県富士市依田橋町を走る静岡県道171号(吉原停車場吉原線)。
実はこの県道、JR吉原駅前を除くほぼ全線が旧東海道となっているのです。
ちなみに左に富士山が見えるのは、この吉原左富士1ヶ所だけではなく、茅ヶ崎の南湖でも左富士を楽しめたため広重も『藤沢南湖の松原 左り不二』を描いています。
東海道で左に富士山が見える珍しい「左富士」は、実は津波被害で誕生 | |
所在地 | 静岡県富士市依田橋町8-34 |
場所 | 吉原左富士 |
電車・バスで | JR吉原駅から徒歩25分 |
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