犀ヶ崖古戦場
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
浜松城の北1kmの地にある渓谷城の地形が犀ヶ崖(さいががけ)。三方原台地が裂けて陥没してできた全長2km、深さ9m、幅50mの断崖の谷です。三方原の戦いで大敗北を喫し、忠臣が身代わりとなって辛くも浜松城に逃げ帰った家康が…
1570(元亀元)年、武田信玄の西侵に備えるため、徳川家康は本拠地を三河国岡崎城(現・愛知県岡崎市)から遠江国浜松荘へ移します。さらに当時の地名、曳馬という名が「馬を引く」(敗北)に通じることから浜松荘(荘園の名)に因ん…
1605(慶長10)年4月16日、徳川家康は、将軍職を我が子・秀忠に譲り、駿府を隠居所に決めて、「大御所政治」を行ないます。慶長12年(1607年)から元和2年(1616年)の間、実質的に駿府城(現・静岡県静岡市)が日本…
静岡市の中心に位置する二重の堀と美しい石垣に囲まれた、静岡市民憩いの場。かつて徳川家康が築城、余生を送った駿府城の跡で、駿府藩の藩庁。府中城や静岡城とも呼ばれています。日清戦争後の明治29年から終戦まで、静岡歩兵第三十四…
静岡市葵区音羽町にある「きよみずさん」の呼び名で知られる清水寺(きよみずでら)。千手観音菩薩を本尊とする真言宗の寺です。7月9日の観音大祭(四万八千日)で有名ですが、除夜の鐘を撞くこともできます。中国寺院風の鉄筋本堂(和…
2019年9月15日(日)、牧之原市の飯津佐和乃神社(はづさわのじんじゃ)で静岡県指定無形民俗文化財『御船神事』が齋行されます。揃いの浴衣を身にまとった船若と呼ばれる青年たちが木遣り歌に併せて千石船(帆掛け船)の模型をか…
静岡県新居町(あらいちょう)は、浜名湖と遠州灘がつながる「今切口(いまぎれぐち)」の西側にあります。平成22年3月に愛知県豊橋市に隣接する静岡県最西端の湖西市と合併し、湖西市新居町になっています。そんな旧新居町のマンホー…
毎年8月22日、伊東市で『伊東温泉箸まつり』を開催。伊東温泉夏のフィナーレを飾るイベントです。 1年間、伊東温泉の旅館などで使われた箸を供養するイベントですが、神輿パレード、供養塔点火、手筒花火&伊東太鼓演奏、打ち上げ花…
慶長12(1607)年、将軍職を2代目・秀忠に譲った家康は隠居して駿府城(静岡市)に暮らします。 東海道の要衝である駿府に暮らすことで、江戸を守るのと同時に、西への睨みをきかしたのです。 人質時代に暮らした住みやすい温暖…
「一富士二鷹三茄子」は、故事ことわざ辞典などによれば、「初夢に見ると縁起が良いとされるものを、めでたい順に並べた句」 とされています。 富士は不死あるいは無事、鷹は高い、茄子は成すに通じるとか様々な解釈がありますが、その…
城の全体設計、つまりはどこにどう曲輪(くるわ=郭)を配置するかというのは、戦国時代を生き抜く城主にとっては最重要課題。 地形を活かして、独特な城郭が生まれています。 同心円状に堀や土塁を何重にも重ねて配置する縄張(なわば…
駿府城に居城する大御所(徳川家康)に拝謁する気持ちで、駿府城の本丸を目ざします。 今回はパート2で、二ノ丸から本丸への道のり。 前回、二ノ丸で坤櫓を見学したので、今回は二ノ丸へ東御門から入城します。 三ノ丸大手御門から入…
JR静岡駅前に降り立っても、そこが城下町という雰囲気はありません。 近代的な町並みだからです。 静岡の城下町は昭和15年の静岡大火と、昭和20年の空襲で大御所ゆかりの美しい家並みは失われてしまいました。 面影が残るのは、…
徳川家康は生涯のうち、3回駿府城に天守を建てています。 最初に駿府に来たときは、天文16年(1547年)、今川氏全盛期である9代・今川義元の時代。家康も松平竹千代という幼名を名乗っています。 人質として6歳から19歳まで…
慶長10年(1605年)、将軍職を子の徳川秀忠に譲り、駿府に隠居を予定した徳川家康は、天下普請によって駿府城を大修築。 慶長12年(1607年)には駿府城を居城として「大御所政治」が始まります。 駿府城は、名目上は徳川頼…
江戸幕府を開いた徳川家康は、元和2年4月17日(1616年6月1日)没。 駿府(現・静岡市)に隠居した後も大御所と呼ばれ、権勢を振るいました。 没後は遺命で久能山に東照大権現として葬られました。
2024年4月5日(金)~4月7日(日)、静岡県静岡市で『第68回静岡まつり』が開催されます。静岡浅間神社の『廿日会祭』(はつかえさい/駿河の大祭といわれる静岡浅間神社の例大祭/4月1日〜6日)に呼応して、昭和32年から…
徳川美術館(名古屋市)が所蔵し、レプリカが浜松城天守閣に展示される『徳川家康三方ヶ原戦役画像』。通称『しかみ像』が今ちょっとした話題に。 元亀3年(1572年)12月、浜松市街東部の台地、三方ヶ原で起こった武田信玄と徳川…