【マンホールで知る町自慢】焼津市

焼津といえば「焼津の半次」。近衛十四郎とコンビを組んだTV時代劇『素浪人 月影兵庫』(1965年〜1968年放映)、『素浪人 花山大吉』(1969年〜1970年放映)でコミカルな渡世人を演じた品川隆二の代表作(原作は南條範夫)。40代以下の人には何のことやらちんぷんかんぷんでしょうが、往年の人気時代劇キャラクターです。現在でも時代劇専門チャンネルなどで再放送されています。

江戸時代からカツオ漁で栄えた焼津

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JR焼津駅前に設置のデザインマンホール

さてさて、焼津市のマンホールに描かれるのは富士山とカツオの絵柄です。
江戸時代からカツオを中心とした漁業が盛んな焼津。徳川家とのつながりも深く、駿府城に隠居した徳川家康にカツオや甘鯛を献上したという記録が残されています。
というわけで、当時から有名な漁師町として栄えた焼津の湊。「焼津の半次」(架空の人物)のような渡世人が賑わう湊町を闊歩したことも容易に推測できます。
清水の次郎長の葬儀を仕切った「当目の岩吉」こと久保山岩吉は焼津の出身。岩吉の墓が焼津港に近い焼津市浜当目にあることもあって、岩吉が「焼津の半次」のモデルという説もあるのです。

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焼津港はカツオの水揚げ日本一

 

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大漁旗を飾り正月を迎える焼津港の漁船

 

カツオのへそ
「カツオのへそ」正体はカツオの心臓

 

もうひとつの絵柄が逆巻く波越しの富士山

焼津市内には、数々の富士山の絶景ポイントがあります。焼津アルプスと呼ばれる高草山(標高501m)や満観峰(標高470m)など山頂からはもちろん、焼津港なら漁船と富士山、海岸では駿河湾と富士山という絶好のビュースポットが満載です。
では、マンホールの絵柄の荒波越しの富士山というベストショットが可能なのはどこでしょう。
そのひとつが吉永海岸です。
吉永海岸は大波が打ち寄せる遠浅の海岸、まさに逆巻く荒波と富士山という構図が得られます。でも、意外なことに、吉永海岸は童謡『月の沙漠』のモチーフにもなっているのです。

『月の沙漠』(作詞・加藤まさを/作曲・佐々木すぐる)といえば、千葉県の御宿海岸が舞台として知られていますが、作詞家の加藤まさを(1897〜1977)が、静岡県志太郡西益津村(現・藤枝市)の出身で、少年時代に吉永海岸に遊びに来ていたということ。そして、そのころの吉永の浜辺をヒントに『月の沙漠』(大正12年)の詩が書かれたというわけなのです。
現在、吉永海岸は浸食が進み砂利浜となっていますが、昔は塩田もつくられる砂浜だったのです。

静岡県では葛飾北斎の代表的な風景画『富嶽三十六景』になぞらえて、駿河湾越しに富士を眺望する「駿河湾富嶽三十六景」をPR。吉永海岸はその第二十七景として紹介されています。海岸沿いに松林と全長1.4㎞の遊歩道が整備されていますので、ゆっくり散策するのもおすすめです。

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焼津市の吉永海岸から富士を眺望

マンホールからは離れますが、断崖絶壁の向こうに富士山の勇姿というベストショットが可能なのが焼津黒潮温泉。駿河湾の静岡市から焼津市に全長約4kmが続く大崩海岸と富士山のツーショットを眺望することができます。大崩海岸はその名の通り崩落しやすい玄武岩の断崖。焼津黒潮温泉の焼津グランドホテルやホテルアンビア松風閣からは「東海の親不知(おやしらず)」ともいわれる大崩海岸を見下ろす絶好のロケーションが自慢です。

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大崩海岸からの富士山

 

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JR東海道本線焼津駅前
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(一社)プレスマンユニオン事務局長。 全国を取材するかたわら、デザインマンホールに注目しています。なぜなら、そこには郷土の自慢が凝縮されているから。何気ない足下のマンホールが、実は地域活性にとって重要な役割を担っていることから、ウエブマガジン「マンホールStyle」を運営中です!