第42回雲見温泉海賊料理まつり(松崎町)

『雲見温泉海賊料理まつり』は、戦国時代、雲見が北条氏に船や鯨を献上したという故事にちなみ、毎年10月に松崎町・雲見温泉で開催されるイベント。鯨に見立てた120kgもある巨大なカジキマグロの献上儀式が行なわれた後、観光客の前で豪快に解体し、刺身として振る舞われます。

雲見温泉海賊料理まつり
 

豪快なカジキマグロの解体ショーが見もの

海上パレードなどが行なわれるほか、サービスコーナーでは解体したてのマグロの刺身、9月に解禁となった伊勢エビの味噌汁を味わうことができます。また海岸に設置されたドラム缶製のコンロで焼く海鮮バーベキュー(地魚バーベキュー)などを楽しむことも。
雲見海岸には富士山の見える「渚の足湯」もあるので、あわせて体験を。

雲見で伊豆水軍の大将として活躍した高橋高種・高橋高盛

長享3年(1489年)、足利義尚が病死すると筑後国(現在の福岡県)出身の高橋高種(たかはしたかたね)は、足利政知に請われて伊豆国へと赴き、雲見上ノ山の上山城(うえのやまじょう)の城主となり、伊豆海賊11人衆の1人として君臨します。
上山城は、太田川右岸の標高60mほどの尾根上に築かれており、駿河湾に突き出した標高162mの烏帽子山は物見台として機能していました。
この海賊は、戦国時代に水軍として伊豆・駿河湾の海戦で活躍。

戦国時代、北条早雲(ほうじょうそううん)が伊豆を支配すると、高橋氏高も北条氏の配下となり、文亀元年(1501年)に伊豆下田に城を築くなど海岸の防備を強固にしています。そしてその水軍は高橋将監(しょうがん)と称して活躍しました。

永禄3年(1560年)以降、駿河への侵攻を始めた武田信玄は、駿東をめぐって小田原北条氏と激しく争いました。
駿東は武田氏の手に落ち、信玄は旧今川水軍から引き継いだ伊丹氏・岡部氏をはじめ、伊勢からは向井氏・小浜氏といった船大将を招き入れて水軍を組織し、北条氏に対抗します。
静岡県内の武田水軍の城跡として江尻城・袋城(静岡市清水区)、持舟城(静岡市駿河区)が有名です。
一方、国土防衛の北条水軍は、伊勢新九盛時(北条早雲)の伊豆平定時からの在地武士である高橋氏(雲見)、富永氏(土肥)、松下氏(三津=みと)、鈴木氏(江梨)らが中核となって対抗します。

天正17年(1589年)10月、上山城主・高橋高盛(たかはしたかもり)は、小田原城主・北条氏政(ほうじょううじまさ)、韮山城主・北条氏規(ほうじょううじつね)、下田城主・清水康英らに、伊豆で捕れた鯨を上納。
さらに松崎・米倉造船所で「伊豆手の船」2艘を造船し、北条氏に献上してあらゆる諸約を免除されるようになりました。
村人はそのお礼として献上船の進水祝いを盛大に行なったとされ、それが『海賊料理まつり』につながる故事となっています。

天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐が行なわれ、高橋高盛は小田原城の巡夜厳警将として奮戦しますが、弟・高忠、高信が討死し、高橋家の譜代家臣のほとんどが戦死。その後は、武州烏山(現在の千歳烏山=東京都世田谷区)に居住しています。

カジキマグロの解体。背後にそびえる烏帽子山は、上山城の物見台で、山頂の浅間神社の神主も高橋氏が務めた

カジキマグロの解体。背後にそびえる烏帽子山は、上山城の物見台で、山頂の浅間神社の神主も高橋氏が務めた

 

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雲見温泉海賊料理まつり DATA

開催日 2016年10月10日(月・祝)
開催時間 9:00〜
所在地 静岡県賀茂郡松崎町雲見
場所 雲見海岸
駐車場 60台(雲見温泉駐車場を利用)
問い合わせ 雲見観光協会TEL:0558-45-0844/FAX:0558-45-0350

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